
ファッション部
No.327 nt
平成のかわいい文化がくれたもの。
2025.10.17
家中の平成を探す
10月のお題が「平成女児の昔懐かしいもの」と見て、普段開けない箱で大事にしまっていた小物たちを久しぶりに出した。
SNSで毎日のように流れてくるシール帳作りの投稿。幼い頃、誰に教えてもらったのか当たり前に作っていたシール帳も文化の一つだったのかと感心しながら見てしまう。
私自身、平成生まれではあるものの平成女児だった自覚があまりない。セーラームーンも、おジャ魔女も、ラブベリもミニモニ。も初期のたまごっちも微妙に世代から外れていて、真の平成女児トークについていくにはあの頃の女児より真剣に勉強しなければならない。
一体何にハマっていた?

まず出てきたのは、小学生の頃使っていた鉛筆たち。もう買えないデザインのものを捨てるのが惜しくていまだに置いてある。この中でも特にメゾピアノの鉛筆をそれはそれは大事に使っていた記憶がある。あの頃メゾピアノが大好きだったので、売り場でもらったカタログは暗記する勢いで何回も読んだし、ベリエちゃんの自転車を毎日乗り回していた。

ショッピングモールに必ず一つはある雑貨屋さんでシールや練り消しを何個も買ってもらったことも昨日のことのように思い出される。おはじきシールはなかなか交換してもらえないレアものだったのでシール帳の表紙の窓部分に入れて別保管していた。今見ても本当にかわいい!

プロフィール帳はデコラッシュやマスキングテープ、グリッターペンで可愛くしてから渡していた思い出がある。血液型は何でマイブームは何で兄妹はいたっけいなかったっけ。素朴な質問だらけで、今見ると癒される。

ミニボトルに入った謎の定番お土産は意外と一番懐かしい。「旅のお土産=家になさそうなもの」と思っていた小学生の頃、このお土産が宝物だった。

最後にとびきりキュートなミニチュア小物。細部までこだわり抜かれたミニチュアは、私に収集の楽しみと日本のものづくりの丁寧さを教えてくれた。見ているだけであの時代の感情に戻れるというのは、何にも変え難い価値だ。
平成に生まれてよかった
自分の携帯もなければ小型のゲーム機を持ち寄って遊ぶということもなく、なんでも紙に書いて遊んでいた小学生時代を思い返すと、そこにはいつも「可愛くしたい」という気持ちがあった。今と違ってなんでもすぐには調べられないので、友達に共有したいことは必ず家から書き写して行ったし、イラストもすぐには調べられないのでメモ帳や切り抜き、シールで持ち運んでいたことを思うと、あの時間があったから今がもっと楽しいし、今があるから昔が輝いて見えるのだろうなと思う。
アナログとデジタルの両方の楽しみを与えてくれた平成を思い返して、令和の今もそのときめきに抗えない同世代がSNS上で見るよりはるかに多いであろうことを知っている。暗くなるまで一輪車の練習をしたことも、裁縫セットのデザイン一つで悩んでいたことも、計算ドリルの表紙がキャラクターで嬉しかったことも、毎週100円を握りしめて駄菓子屋に行ったことも。その思い出全部が平成にあったことをとても嬉しく思う。







