――サブリーダーは飯窪春菜さんとの二人体制でしたが、役割分担などはあったのでしょうか?
譜久村 明確にはなくて、一緒に頑張るという感じでした。お互いに「とにかく道重さんを自分たちが支えないと!」という強い使命感があったのですが、当時の私は思うようにできなくて落ち込むことが多かったです。はるなん(飯窪)は道重さんとのコミュニケーションの取り方も自然できちんとしていて。そういう姿をすごいな、さすがだな、と思う一方で、自分の不甲斐なさに落ち込んでしまうこともありました。そんなことを考えたりしているうちに上手に話しかけられなくなってしまって、“振り出しに戻る”じゃないですけど、その時はまたすっかり自信をなくしていました。
――同じ役職についたメンバーがいることで自分と比べてしまう状況は切ないですね。
譜久村 ついつい比べてしまって「はるなんのほうがすごい」ってずっと思っていました。同時に、ステージ上での自分の表情がよくないって気がついた時期でもあったので、「私って可愛くないな」とか「可愛い人が羨ましいな」とか、当時はもうすべての考え方がよくない方向にいっちゃっていました。「可愛くなりたいからメイクを頑張ろう!」 とか前向きな考え方には全然なれなかったんですよね、その時は。だからこそ、握手会などでファンの皆さんがかけてくださる言葉には本当に救われていました。
――握手会で意識していたことはありますか?
譜久村 握手できる時間は一瞬なので、そこでできるだけ感謝の思いが伝わるように、ということは昔から意識していました。なので結構ギュッと強く握るタイプだと思います。それでビックリされることもありました(笑)。あとは目線の高さが相手より低くなるように、手をなるべく下のほうから出すようにするのもこだわり。「ありがとうございます」を素早く言う練習もしましたね。より感謝を伝えるためにはどうすればいいか、と考えてとにかくできることを全部やる! という感じでした。
――2013年は握手会だけではなく、「ナルチカ」などで全国のライブハウスを回っていましたよね。いつものホールやアリーナとは違う環境下で学んだことはありましたか?
譜久村 「ナルチカ」は「なるだけ近く」の略なのですが、名前の通り本当に距離感がすごく近くて、初めはすごくビックリしました。きっと私たちだけじゃなく、ファンの人たちもビックリしていたと思います(笑)。ステージもいつもより小さいので照明にぶつかっちゃったり、『Help me!!』の羽のように広がるフォーメーションが広さが足りなくてできなかったのも衝撃で、すごく覚えています。楽屋も場所によって個性があって、なかには鏡やコンセント、イスが足りなかったりするところもありました。でもそういう時はメンバー同士で協力しながら準備をして、それがすごく楽しかったんですよ。ファンの皆さんもそうですし、メンバーともたくさん心を通わせることができたいい機会でした。全国同時握手会も「ナルチカ」もそれぞれの場所に思い出があるんですけど、なかでも富山では特に優しく迎えていただいて、「第二の故郷だと思っていいからね」と声をかけてもらったことが忘れられません。その後また行った時には「おかえり」って言ってもらえて本当にうれしかったです。
――そしてファースト写真集 『MIZUKI』が発売されたのも2013年ですよね。今やグラビアでも大活躍している譜久村さんの原点と言える一冊なのではないでしょうか。当時の記憶は残っていますか?
譜久村 元々ハロプロの先輩たちの写真集を自分でも持っていたし、会社にもたくさん置いてあったので、ほぼ全員の写真集を見てから撮影にのぞみました。先輩たちの作品を見て、自分なりにイメージを膨らませていたはずなんですけど、実際はすごく表情が固かったと思います。なぜならその時は自分の表情のなさにすごくコンプレックスを感じていた時期だったので、写真を撮られることにすごく苦手意識があったんです。でも大好きなピンクの水着を着られてうれしかったことはすごく覚えています。出来上がったものを見た時は同じような顔ばかりしている自分がいやで、反省モードだったんですけど、増刷になったと聞いた時は純粋にうれしかったです。しかもなかなかないことだったらしく、成果を出した自分をちょっとだけ褒めてあげてもいいのかなとも思えました。写真を撮ってもらうことで自然と自分と向き合う機会が増えたので、表情作りももっと研究するようになりましたし、自分にとってグラビアは学びの場でもあったのかなと思います。
――表情作りに関して転機となるようなエピソードがもしあれば教えてください。
譜久村 改めて道重さんの撮影を見学させていただいたことはすごく勉強になりました。道重さんって撮影されたすべてのカットが使えるぐらいハズさないんですよ。「これがアイドルだ!」って感激しました。魅せ方のバリエーションも豊富ですごく刺激を受けましたね。そして道重さんだけではなく、いろいろな人を見ることが大事だと思ったので、他のメンバーが撮影している時もこまめにチェックするようにしていました。