――道重さんからリーダーを引き継ぐことになり、意識していたことはありますか?
譜久村 道重さんがリーダーとしてされていることをメモに残すようにしていました。あとはアイドルとして道重さんがされていることも、同じようにメモしていました。そして最後の半年は自分がリーダーになったらこうしてみようとか、そういうことを具体的に想像しながら過ごしていましたね。
――道重さんのラストとなる秋ツアーに向けての準備期間などでの思い出はありますか?
譜久村 私だけではなくメンバー全員、そしてファンの皆さんも含め、とにかく全員が「道重さんのために頑張ろう!」という感じだったので一体感が半端なかったです。練習の時にメンバー全員おそろいでピンクの道重Tシャツを着たりして、それも懐かしいです。
――改めて道重さんの卒業コンサートにて伝説となった“フクムラダッシュ”についてお話を聞かせてください。スペシャルメドレーの最中に道重さんの足がつって動けなくなってしまい、メインステージからセンターステージに移動できなくなってしまうというトラブルが発生。道重さんと譜久村さんのデュエット曲『好きだな君が』が始まる前のタイミングで、譜久村さんがダッシュして道重さんがいるメインステージに合流するというファインプレーが話題になりました。
譜久村 自分としては当然のことをしただけだったので、こんなに大きい話になるとは思わずビックリしました(笑)。でも一つ言えるのは、もし今また同じことが起こったとしても絶対に私はダッシュしますし、私だけじゃなくて、モーニング娘。のメンバーだったら、同じ状況になったらみんなダッシュすると思います。
その時の心境をお話すると、私にとって『好きだな君が』という曲は道重さんと一緒に歌えるすごく大事な曲で。ずっと大切に歌ってきた曲だからこそ、最後にバラバラで歌うなんてことは考えられなかったんです。その前の曲が『ブレインストーミング』だったんですけど、間奏の部分が結構長くあったので「ここがチャンスだ!」と思い、目の前にいるどぅー(工藤遥)に合図だけ送って、あとは全速力で走りました。後から映像で見たらすごい顔して走っててビックリしましたけど(笑)。でもそれぐらい無我夢中だったんです。「決めたからにはやるぞ!」みたいな強い気持ちでした。行動を起こしたことで自分の転機にもなったと思います。
道重さんの卒業公演では自分が過去に先輩たちからしてもらったこと、感謝の気持ちを思い出しながらコンサートしていました。メンバーにトラブルがあった時、他のメンバーが力を合わせてカバーすることは、先輩たちから教えてもらったことでもあるんです。
――道重さんの卒業ツアー序盤に12期メンバーが初お披露目され、新体制になるまでには少しだけ期間がありましたよね。
譜久村 はい。この年のカウントダウンコンサートから、一部ですが12期が合流しての活動が始まりました。そして僅かな期間ですが、9〜11期メンバーだけの9人体制の時期もありました。確かクリスマスイベントが最後の9人イベントだったんですけど、セットリストに納得いかなくて、メンバーでマネージャーさんに抗議したこともいい思い出です(笑)。「私たちが9人だけでパフォーマンスする最後の機会なのに、こんなに曲数が少なくていいんですか⁉︎ もっとできます!」ってすごくアピールしました(笑)。
――最後に譜久村さんにとっての2014年を一言で表すと?
譜久村 「3年分働いた年」です。とてもシンプルですがこれに尽きます(笑)。インフルエンザに罹ってお休みをいただいたことはあったんですけど、それ以外はまとまって休んだ記憶がないぐらいフル回転の一年でした。もちろん道重さんの卒業やリーダー就任など大きな出来事もあったし、それ以外にもあまりにいろんなことがありすぎて記憶が飛んでしまっている部分もあるんですけど、今日振り返りながらいろいろ話しているうちに思い出すこともあって、すごく懐かしい気持ちになりましたね。