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インタビュー
2025.06.10
7月8日(火)に日本武道館で開催される「モーニング娘。’25 コンサートツアー春 Mighty Magic DX~生田衣梨奈を見送って~」をもってモーニング娘。及びハロー!プロジェクトを卒業する生田衣梨奈さんの卒業連載。第一回目はタレントやアイドルに憧れていた幼少期の話からモーニング娘。加入時のこと、先輩たちの卒業、そしてグループのサブリーダーになるまでの激動の日々を振り返ります。
モーニング娘。になるまでの思い出、同期との出会い
――地元・福岡では事務所に所属されていたそうですが当時の思い出はありますか?
天神エリアを歩いている時にスカウトされて事務所に入りました。確か小学校4年生ぐらいの時だったと思います。その後ファッションショーに出たりはしましたが、あまり積極的には活動していなかったので、経験があるといえばある、みたいな感じです。でもその事務所にはすごく親切にしてもらって。モーニング娘。のオーディションを受けることになった時には、事務所に所属していても受けられるのかという確認を取ってくれたり、オーディション中に事務所を辞めることになった時も「もし落ちたり、これから困ったことがあったら戻ってきていいからね」と言っていただいたり。とてもありがたかったです。
――もともと芸能の世界に興味があったのでしょうか?
ありました!小学生の時はスザンヌさんに憧れていて、握手会に行った時にスザンヌさんから「芸能やらないの?」と言われたこともあるんですよ。アイドルは大好きだったけれど、自分がなるイメージはあまりなくて、どちらかと言えばタレントになりたいと思っていました。
――ハロー!プロジェクトやモーニング娘。のことを知った、好きになったきっかけを教えてください。
ハロプロという意識はなかったのですが、小さい時には世代ということもあってミニモニ。さん、松浦亜弥さんが好きでした。(松浦さんの)ピンクモンキーカードを集めていたり、ミニモニ。さんのゲームも好きでよく遊んでいましたね。幼馴染と一緒に『Go Girl 〜恋のヴィクトリー〜』を踊っている映像も残っていて、その流れで「将来は一緒にモーニング娘。になりたいね」と言っていた記憶もあります。私は卒園アルバムにも将来の夢の欄に「モーニング娘。になりたい」って書いていて。実はその友達も、卒業ツアーの福岡公演を見に来てくれるんです。(※インタビュー当時。福岡では5月25日に公演済み)
――モーニング娘。になりたいという思いが確固たるものに変わったのはいつですか?
オーディションを受ける前は「受からないだろうな」と思っていたのですが、気付いたら合宿審査まで進むことができて。それで参加する6人のうちの一人として残った時、「絶対受かりたい」という気持ちが強く出てきました。最終的に合格となってうれしかったんですけど、同時に不思議な気持ちもあって。それで、つんく♂さんに「なんで受かったんですか?」と聞いてみたんです。そうしたら「辞めてもええんやで、今からでもやり直せる(笑)」と言われたのも印象に残っています(笑)。
――オーディション中で印象に残っていることは他にありますか?
審査員の人たちの前に出ることが怖くてどうしようって思いました。でも気持ちを切り替えて、毎回この人だと思う一人にターゲットを絞ってアピールする作戦に出てみたんです。誰か一人にでも強烈な印象を残すことができたら、選ばれる可能性が高くなるかもしれないじゃないですか。もちろん運もあると思いますけど、このやり方はこれからオーディションなどを受ける人がいたとしたら個人的にオススメしたいです(笑)。
合宿審査はある程度覚悟はしていたつもりだったけど、すごく厳しかったです。後になってその時の先生やスタッフさんたちから「一般から来てダンスや歌が急にできないのは分かっていたけど、そこはわざと厳しくしてたんだよ」って聞いてちょっと安心しました。そしてこのオーディション中には、今でも仲よくしているんですけどLinQの髙木悠未ちゃんに出会ったことも個人的に大きい出来事でしたね。幼馴染の本村碧唯ちゃん含め、デビューする前に同世代でかつ、長くアイドルを続けることになる同志的な存在がいたということは、自分が活動する上ですごく大きな励みになりました。
――合格後、9期のお披露目となった「Hello! Project 2011 WINTER~歓迎新鮮まつり~」ではロングヘアからミディアムヘアに。つんく♂さんがその時のことをヒントに『乙女のタイミング』という曲を作ったり、後のご自身のブログで「(髪を切ることを報告したのが)ママじゃなくお父さんってのがすごいなぁって結構衝撃的だった」と書いていましたよね。
実はその話にはちょっとした裏エピソードがあって。私は正直切りたくはなかったんです。それで家族に電話で確認する時、母は絶対賛成してしまうから、止めてくれることを期待してわざわざ父にかけたのに、「いいんじゃない」と即言われてしまったんですよね(笑)。でもつんく♂さんは、母親ではなく父親に電話しているところに「家族に愛されて育った子なんだろうな」と好印象を持ってくれたという。実際に家族はすごく仲よしなんですけど、そんなこともありました。
そして今だから話せるエピソードがもう一つあって、個人的にお披露目のステージに立つのがすごく怖かったんです。というのも地元で開催されていたAKB48さんの握手会に行ったんですけど、その姿がテレビに映っていて、その行動がネット上で批判されてしまうという出来事がありました。
——当時は今とは違って事務所が異なるアイドル同士や、ファン同士ではあまり交わらない空気がありましたもんね。
私は昔からずっとアイドルという存在そのものや、可愛い女の子が大好きで。スザンヌさんの握手会に行ったのと同じ感覚で、AKB48さんの握手会にも行ったのですが、まさかそのことがきっかけで問題が起きるなんて思ってもみなかったので、当時はとにかく衝撃でした。9期メンバーの加入発表は客席から登場する流れだったので、こんな状態で皆さんに受け入れてもらえるのかとすごく不安にもなりましたね。平常心を保たなきゃいけないとは思いつつ、心の中はすごく動揺していた記憶があります。結果、ファンの皆さんにはすごく暖かく迎え入れてもらい、ステージに無事立てたんですけど、そこでサプライズ合格として(譜久村)聖が呼ばれてステージに降りてくる展開でまたびっくりしました。
――同期メンバー3人の第一印象もぜひ教えてください。
(鈴木)香音ちゃんには3次審査で初めて会いました。「可愛い子がいるな」って思って母と一緒に話しかけに行ったら、すごくフランクに接してくれて。だから合宿も一緒だと知った時はすごくうれしかったです。同期とは合格後に対面する流れだったんですけど、そこで香音ちゃんの姿が見えた時にはうれしすぎて思わず「香音ちゃん!」と言っちゃいました。
(鞘師)里保は合宿審査で初めて会ったんですけど、ストイックであまり誰とも喋っていなかった印象でした。とにかく踊りが上手で、レッスンなどでも真ん中にいることが多かったし、「この子は絶対受かるんだろうな」って思って見ていましたね。
聖とはステージ上で初めて会ったので、自分も緊張で頭が真っ白だったし、正直その時の記憶があまり残ってないんですよ。聖の名前が呼ばれた瞬間、会場がめちゃくちゃ盛り上がっていて、その場にいるみんなは知っている感じだけど、私と香音ちゃんと里保だけは、よく分かっていなかったので「……え!?」みたいな感じでした。
――譜久村さんは自身のノンノwebでの卒業連載インタビューで、生田さんのほうから「みずきって呼んでいい?」と言ってくれたエピソードを話していましたが、その記憶は残っていますか?
会社の人から「譜久村はエッグ(現・ハロプロ研修生)出身だけど、これからは同期として接するように」と言われたのですが、他の2人は年齢が下ということもあって、どうやって聖に話しかけていいのか困っている感じがしたんです。だからここは私が切り込まないとなと思って、そういう感じで話しかけました。
――モーニング娘。になったということをどのタイミングで実感しましたか?
合格発表された後、学校に行った時の反響で実感しました。発表された日もすごくメールがきていましたね。オーディションを受けることを伝えていた友達は一人だけだったので、突然知ってびっくりした人が多かったのかも。しばらくは福岡と東京を行き来して、少ししてから本格的に上京することになったんですけど、地元の中学校ではいつも一緒に過ごす仲よしの子たちがいたので転校はすごく寂しかったです。その中の一人が、合格して3年後くらいに突然「実は私ハロプロ好きなんだ。審査もずっと見てたよ」って打ち明けてくれて。オーディション中や、合格直後は言わないでいてくれたんです。びっくりしたけど、その気持ちがうれしかったですね。
モーニング娘。の過酷さを実感した加入当初のはなし
――加入から1か月で9期イベント、初ツアー、初シングルと目まぐるしい日々を過ごしていたと思いますが、大変でしたか?
最近は加入が決まってから“モーニング娘。の曲を覚える期間”というものがある程度設けられているのですが、私たちの時はお披露目されてすぐ「2日後に『友(とも)』を踊ります」と急に言われて猛練習する、みたいな感じでした。さらにその1週間後にはファンクラブイベントでパントマイムをすることになって。「パントマイムだったらいけるかも!」 と思ったのも束の間、そこから春ツアーのリハも始まってめちゃくちゃ過酷な日々を過ごすことになりました(笑)。経験がないメンバーも含め、小中学生の子たちが約2、3か月の間に30曲近くをマスターして、先輩メンバーと一緒にステージに立つというのは相当ハードルが高いですよね⁉︎ 自分達はもちろん、サポートする側の先輩やスタッフの皆さんも相当大変だったと思うので、その経験から今のようなシステムが出来上がっていったのかなと思います(笑)。
――過酷な練習を経て迎えた初めてのツアー「コンサートツアー2011春 新創世記 ファンタジーDX 〜 9期メンを迎えて 〜」はどうでしたか?
リハ中はとにかく毎日怒られてばかりで、だんだん怒られている理由も分からなくなるぐらいカオスな状況。そんな中、東日本大震災がおきてしまって。その時自分は学校にいたんですけど、マネージャーさんが迎えに来てくれて一緒に歩いて帰ったことを覚えています。震災の影響から3月の公演が中止になり、4月の大宮公演からスタートに。その大宮公演も余震で中断するなどさまざまなことがありました。震災のショックも大きく、いろいろと変動的で激動の日々でしたね。
やっぱり今までやってきて一番印象に残っているのは初めてのツアーなんですよね。練習やリハで怒られるたびに、マネージャーさんからは「9期全員で話し合って問題点を解決しなさい」と言われたのもあって、9期メンバーとはたくさん話し合いもしました。その時間は確かに大事ではあったんですけど、もし今の自分がその時に戻れるとしたら「話し合いはそこそこにして、早く帰って振りとか歌詞をちゃんと覚える時間を作ったほうがいいと思うよ」と言いたいです(笑)。リハ中はとにかく毎日泣いていましたが、実際にツアーが始まってからは自分のメンバーカラーのペンライトを持ったお客さんが、少しずつ増えていく景色が見られてすごくうれしかったです。それまでもファンの方に会う機会はあったけれど、いっぱいいっぱいの状態だったので、ここで初めて自分のファンが存在することを実感した気がします。このツアー中にはまだまだ分からないこともあったけれど、楽しい気持ち、うれしい気持ち……それ以外にも自分の中でいろんな感情がどんどん生まれてきて、得るものがとても大きかったです。
――大変な時間を過ごしたからこそ生まれた感情ということですよね。
そうですね。でも当時は一生懸命練習していても、結果できていない人はステージに立てないという方針だったので、出られなくなった楽曲も結構ありました。そのことについてはショックというより、何ができていないのかもちゃんと理解できていない状態だったので、仕方なかったのかなと思います。
――生田さんは一般からの加入ということでより大変さを感じることが多かったのではないでしょうか。特に努力したこと、自分の中で生まれた変化などあれば教えてください。
一日でも休むと本当に置いて行かれてしまうので、とにかく休まないことだけは心がけていました。そして春ツアーで自分の中にいろんな感情が生まれたという話をしましたが、モーニング娘。に対してより強い探求心が出てきたのもこのぐらいのタイミング。それまでは他のアーティストやアイドルのライブ映像も並行で見ていたりしたけれど、ここから2、3年ぐらいの期間はひたすらモーニング娘。の映像ばかり見る生活を送っていました。グループとしての歴史が長いし、学ぶべきことが多すぎて、他のものを見る時間がなかったんですよ。
――モーニング娘。の映像で特によく見ていたものはなんですか?
高橋愛さんがリーダーをされていたプラチナ期の映像はとにかくよく見ていました。今回のツアー「モーニング娘。’25 コンサートツアー春 〜Mighty Magic〜」では、一曲目に『I’m Lucky girl』をやっているんですけど、それも私の加入発表があった日に見た、高橋さん、新垣里沙さん、道重さゆみさん、田中れいなさん、光井愛佳さんの5人のモーニング娘。のステージをオマージュしたものです。ファンの皆さんはすぐ気づいてくれてさすがと思いました(笑)。衣装も『女が目立って なぜイケナイ』をオマージュしたドレスを作ってもらって、お気に入りです。
――加入当初の話に戻りますが、初の春ツアーの後にはTV番組『おはスタ』の日替わりアシスタントであるおはガールに就任。学業も、モーニング娘。の活動もある上で、ソロでの活動も同時進行というのは慣れない環境の中、大変だったのではないでしょうか?
もともと『おはスタ』は大好きでよく見ていました。そして当時元スマイレージの小川紗季さんがいた「おはガールメープル」も大好きだったので、番組に関するオーディションを受けます、と言われた時にはうれしくて飛び上がりました。詳しい内容は知らされていなかったんですけど、とにかく選ばれたかったので、オーディションではおはスタに関するマニアックな知識をアピールしました。でも、選ばれる決め手となったのは面接の最後に「おはスタ大好きです!」と言ったことだったらしいです。
ちなみに合格したことはメンバーにも内緒と言われていたので、その期間に開催されたハワイツアーでは、マネージャーさんの部屋でこっそりおはガールのバトンの練習をしていました。そして実際におはガールになったと同時に秋ツアーのリハが始まって、おはスタの新曲イベントも同時進行で始まるというスケジュールで。おはスタのリハには全然出られないし、モーニング娘。のほうもついていけなくて怒られるという悲惨な状況で。すごく大変だったけれど、おはスタの現場では怒られることはほぼなかったので(笑)、癒しの時間でもありましたね。当時は学校にも行っていたし、今でもすごいスケジュールだったなと思いますが、それが当たり前みたいな感じだったので、怒られながらもなんとか頑張るという感じでした。
――9期メンバーは加入してからプロデューサーであるつんく♂さんとメールでやり取りをしていたそうですが、何か印象に残っているエピソードはありますか?
最初は毎日送るという感じだったんですけど、私が一番最初に送るのを止めたと思います(笑)。つんく♂さんがいつかのライナーノーツで「生田は媚びないところがいい」みたいに書いてくださったことがあるんですけど、そのことも含まれているんじゃないかって勝手に思っています。メールの内容は本当になんでもいいと言われていたので、今日の練習であったイヤなこととか、うまくできなかったことなど、今思うとどう考えても送るべきではない内容ばかり送っていました(笑)。周りの大人の反応を見ていてつんく♂さんがすごい人ということはもちろん分かっていたのですが、あんまり現実味がなくて、当時は「なんか芸能人の人とメールしてる!」という感覚だった気がしますね。
――大きな変化を感じる中で仲間であった9期メンバーとはどんな関係性だったのでしょうか?
9期でいると聖はその場を回してくれて、里保と香音ちゃんは小さい喧嘩をよくしていて、私はそれを見ているみたいな感じが基本でした。今でもあんまり変わらないんですけど(笑)。お互いをライバル視、みたいなことはなかったです。本当にバラバラの4人で、だからこそ当時のモーニング娘。の雰囲気にも合っていたのかなと思います。
初めてできた後輩との複雑な関係、バラエティで磨いた自分の強み
――9期加入が新しいモーニング娘。像を作るきっかけとなったと思うのですが、その意識はありましたか?
もちろん自分たちではそんなふうに見ることはできませんでしたが、昔からファンだった方々は「(あの頃は)新しい時代が来た感じがあった」とよく言ってくださいますね。そして先輩たちから「9期が入ってきてくれて良かった」と言われたこともうれしくてすごく覚えています。でも初めての春ツアー中に10期オーディションの開催が発表されたじゃないですか。そこから9期の中では「私たちはいらないってことなのかな」みたいな暗い雰囲気になっていきました。状況を察して事前にマネージャーさんから「10期オーディションは9期オーディションをやっていた時から決まっていた話だから落ち込まないで」と言われていたけど、みんな幼かったし、日々怒られていたこともあって、状況的にどうしてもマイナスな方向にしか考えることができなかったんですよね。
――その後、10期が入ってきてどうでしたか?
先輩たちもスタッフさんも9期で子どもの取り扱いを経験したばかりだったこともあり(笑)、10期に対してはすごく寛容に見えました。実際に10期は私たちと比べると全然怒られていなかったと思います。9期からも、怒られるポイントみたいなことを10期に事前に教えたりしていたことも大きかったかもしれません。
――10期が入るタイミングで当時リーダーだった高橋愛さんの卒業もあり、ここからのグループの変化も大きかったですよね。
はい。マネージャーさんからは加入してすぐに「先輩がずっといると思わないで」と言われていましたね。
――9期はすぐに後輩ができたこともあり、新人でいられる時期が短かったですよね。
そうですね。その一方で、9期は10期とまとめられることが多かったです。最近だと、16期の櫻井(梨央)が似た状況で。櫻井には17期加入が決まった頃「(後輩が)入ってくるまでのスパンが短いから、後輩と櫻井が一緒にまとめられることが多くなるかもしれないよ」と事前に話しました。そして私個人としてはその経験がある分、櫻井と17期をちゃんと分けて対応することも心がけていましたね。同じ指摘をするにしても、櫻井には櫻井だけに、17期には17期にと、別のタイミングで伝えるようにしています。
――以前、譜久村さんもお話ししていましたが、9期と10期は年齢が近いこともあり複雑な関係でもありましたよね。
はるなん(飯窪春菜)と(石田)亜佑美ちゃんは自分よりも年齢が上だったので、敬語を使われるのは不思議な感覚でした。モーニング娘。は加入順で先輩後輩が決まるので、たとえ半年の差であっても上下関係はしっかりしようみたいな感じがマネージャーさんからもあって。でもグループの外の方々からすると「半年しか違わないし、年上なのに敬語を使う必要がある?」と感じる人もいると思うんですよ。だから誰が悪いとかではないけれども、見方によっては自分たちが悪く思われるのではないかという怖さも常にありましたね。そして、まーどぅー(佐藤優樹と工藤遥のコンビ名総称)はとにかく子どもで!優樹ちゃんが切った爪を会社の車の中に落としたままにしていたことで超怒られて、9、10期の連帯責任として会場に車で行けなくなるみたいな事件もありましたね(笑)。9期も「なんで9期もなんですか?」ってそこであまり強く言えなかったので、そういう小さな事件がたびたび起こっていました。
――この頃はバラエティ番組などへの出演も多かった印象です。新メンバー含め、全員が前へ前へ精神で盛り上げていたように見えましたが、どうだったのでしょうか?
昔はメディアに出る仕事をする時は一人最低3回発言しないとマネージャーさんから怒られたので、前へ前へ精神はそこで鍛えられたと思います。今でも後輩には「今日は一人1回、発言しようね」とか「外でお仕事する時は、しゃべらないと見出しになるようなものでもならないよ」などの声かけはするようにしています。その場で発言することに意味があると思うし、おもしろいおもしろくないに関係なく発言すること自体を求めている人がいるかもしれないじゃないですか。私は自分で経験して学んできたことで、伝えたほうがいいことと言わなくていいことを区別しているんですが、こういう意味があると感じたことは、できるだけ後輩に伝えていきたいなと思っています。
――生田さんはバラエティで魔法を使うキャラのイメージがありますが、それは自分で考えたものなのでしょうか?
自分で考えました。「(相手を)好きにさせなきゃいけない、何がいいんだろう……ちょっとおもしろくしなきゃいけない……魔法だ!」みたいな感じで、不意に生まれたアイディアだったんですけど、想像以上に反響があって。実際にめちゃイケ(『めちゃ×2イケてるッ!』)などの番組にたくさん呼んでいただいたり。「世界一のアイドルを目指している生田衣梨奈です」を繰り返して岡村隆史さんにツッコまれるというくだりは、スタッフの方からもめちゃくちゃ指導されました。あとは、ユースケ(・サンタマリア)さんが私のファンと公言してくださって。それがきっかけで『『ぷっ』すま』に私ソロではもちろん、メンバーもたくさん呼んでもらったり、贔屓していただいたりもしました(笑)。草彅剛さんには『『ぷっ』すま』のロケでイカ釣りに行った次の日に、FNS歌謡祭でお会いして「えりぽん!昨日大丈夫だった?寒くなかった?風邪ひいてない?」と優しく声をかけていただいたことも。3歳くらいの頃に母に連れられてSMAPさんのコンサートに行ったことがあるので、ご一緒できて感慨深いものがありました。当時はこうした番組をきっかけに知ってもらうことも多くて、後に仲よくなった子たちからも「魔法とか言っている印象が強かった」と言われたりしましたね(笑)。
――メディアではどちらかと言えばイジられ役に徹していた印象ですが、そこでつらいと感じることはなかったですか?
イジられるのが自分の役割だと理解してからは全然つらくなかったです。加入して半年ぐらいの時、「9期をどう思っているか」という質問に対して道重さんが私を飛ばして「以上です」と言うイジりをしたことがあって。そこで私は泣いてしまったんですけど、後からマネージャーさんに「そこで泣くのは(流れ的に)ありえない」って注意されたことがあったんです。でもその時泣いたのはイジられたからではなく、自分がうまく返せなかったばかりに周りからフォローされる状況を作ってしまって、逆に心配される立場になってしまったからなんですけど。なので、道重さんにイジられたからだと思っている人がいたらそれは全然違います!でもこの出来事をきっかけに自分のバラエティ的役割について理解することができました。
そうした自分の経験も思い出して、後輩には入ってきたタイミングで「まず何で頑張りたい?」と聞くようにしています。「バラエティやトーク」という子がいたらそういう振りもできるし、「話すのは苦手で」という子がいたら、その子が得意なところでフィーチャーしたらいいので。私ができること、できないことはありますけど、その頑張りたいポイントを可能な範囲でサポートできたらいいなと思うので。
ピンチをチャンスに変えた経験、一番上の先輩になって感じた変化
――生田さんといえば逆境をチャンスに変える人、というイメージも。例えば『One・Two・Three』では“る”しかパートがなかったけれども、それを逆手にとって話題にしたりなどしましたよね。
歌割りに関しては『Only you』でゼロだった時に相当なショックを受けたので、『One・Two・Three』は”る”だけでもパートをもらえたことが正直ありがたかったんですよ。ただ2番だったので、削られることも多いだろうなとは思っていて。それでこの状況をどうやっておもしろくしようか考えた結果、「他のメンバーはめっちゃ歌っているのに、私は2番の“る”しかパートがなくてテレビにも抜かれません!」みたいな感じで、ことあるごとに発信するようにしたんです。そうしたらそれをおもしろがってもらえて、『関ジャム 完全燃SHOW(現EIGHT-JAM)』では、横山(裕)さんや村上(信五)さんに「その気持ちわかる!」と共感してもらえたり、メンバーも乗っかってくれたりと、周りの方の力でさらに盛り上げてもらった感じです。今行っているラストツアーでは、『One・Two・Three』の“る”のパートを歌うのは絶対ハズせないと思いセットリストに入れてもらったんですけど、現場ではイヤモニをしているからお客さんの反応が全部拾いきれなくて。それで初日が終わってスタッフさんに「反応どうでした?」と聞いたら「一番沸いてたよ!」と言われたので安心しました(笑)。
――そして生田さんといえばメンバーカラーが途中で変わったことも印象的でした。最初は紫でしたよね。
紫は実は(メンバーカラーを)いただいた当時はそんなに好きでも嫌いでもなかったんですけど、気付いたらすごく愛着が芽生えていました。後にメンバーカラーが黄緑に変わるんですけど、変わってもずっと紫のグッズを持ってきてくれるファンの方を見かけると純粋にうれしいなと思いますし、たまに紫の衣装を着たりすると喜んでもらえることが多いので、自分に似合う色だったんだなと思います。
――ファンの間では知られている話だと思いますが、改めて新垣さんから黄緑のメンバーカラーを受け継ぐことになった経緯を教えてください。
私がとにかく新垣さんのことが大好きで。加入した当初は普通に先輩後輩の関係性だったんですけど、新垣さんの仕事に対する姿勢や、舞台での演技のカッコよさを傍で見ているうちにどんどん好きな気持ちが大きくなっていって、気付いたら大ファンになっていました。同じグループのメンバーだけど、新垣さんのグッズを集めたり、サイン入りのキーホルダーを携帯電話に付けていたり。会社の方にお願いをしてファンクラブツアーに参加したこともありました。その様子はDVDマガジン『生田衣梨奈が5号車に! 新垣里沙ファンクラブツアー in 静岡』にも残っていて、この時に新垣さんから「(自分が卒業したら)黄緑を生田にあげたい」と言っていただいたんです。そして当時のマネージャーさんが「これから新メンバーが入ってきたらその子に黄緑が行ってしまう可能性があるから、そうなる前に変えたほうがいい」と後押ししてくれて。それでメンバーカラーが紫から黄緑になりました。
――趣味のゴルフが仕事に繋がったのもこの頃ですよね。
そうです。9、10期の特技を一回見直そうとなったタイミングがあったのですが、そこで「私はゴルフが得意です!」とアピールしたら、「どれぐらいできるのか見せて」と言われて。それで会社の人と一緒に打ちっぱなしに行ったら「本当にできるじゃん!」となって、そこから急にゴルフの仕事が入ってくるようになりました。ゴルフのおかげで堺正章さん、栗田貫一さん、叶美香さん、松岡充さんなど普段なかなかお会いできないような芸能界の大先輩と一緒にお仕事をする機会にも恵まれましたし、BEAMS GOLFさんのモデルをさせていただいたことも。そして『生田衣梨奈のVSゴルフ』というゴルフに関する冠番組まで持たせていただくことになって。2018年から放送しているんですけど、なんと7年も続いていて本当にありがたいことだらけです。
――冠番組を持ったことで得た気付きなどはありましたか?
人との絡み方を学びました。ゲストとしてこれまで関わったことのないジャンルで活躍している方、初めて共演する方をお迎えすることが多かったので、どうやったら上手に話せるかということは常に考えていました。ひぐち君(髭男爵)と一緒に進行するので安心感もありましたが、やっぱり自分の番組だからこそ自分でもやらないと、という思いがあって。次第にゲストに呼びたい方についてなども聞いていただけるようになりました。
――外部での仕事が充実していた一方、演劇女子部(ハロー!プロジェクト所属のタレントが出演する舞台作品シリーズ)は欠席している年もありましたが、当時グループ内で分担があったりしたのでしょうか?
舞台に出ないメンバーは代わりに外部仕事をやる、みたいな感じで自然と役割分担されていました。私はバラエティ班みたいな感じで認識されていたと思います。もしかしたらその分担に不満を感じているメンバーもいたかもしれないですけど、私はバラエティに出るのがすごく楽しかったので、舞台に出ないということをすごく前向きに捉えていました。
――生田さんといえば、ここ最近は2shotチェキ会でクオリティが高い写真を撮らせてくれる、などファンサービスでも話題を作っていた印象がありますが、ファンとの交流についてもお話を聞きたいです。
チェキ会に関してはまず自分が可愛く写りたいので(笑)、ベストな角度や距離をスタッフさんに伝えるようにしています。そうすると隣にいるファンの方も自然と盛れるんですよね。そしてせっかく来ていただいているからこそ、距離感もギリギリくっつかないぐらいの感じを狙って、ルールを守りながら結構攻めていますよ(笑)。
――その他に個別会で印象に残っているエピソードはありますか?
最初の頃は自分のブースに人が来てくれることがとにかくうれしくて、一人一人に対して大声で感謝の気持ちを伝えていました。でもある時、急に自分の中で反発心みたいな感情が生まれてしまったことがあって、それが表にも出てしまっていたんですよね。そうしたらあっという間に来てくれる人の数も減っていってハッとしたものの、なかなか気持ちの切り替えがうまくできず……という時期がありました。その頃来てくださったファンの方には本当に申し訳なかったです。そんな中でも私の好きなものと同じものを見たり、身に着けたり、ライブで一緒に踊ってくれたりするファンの皆さんと接していて、こんなに一生懸命好きでいてくれて、興味がなかったものも「えりぽんが好きだから」と知ってくれようとしたりするのってすごいことだな、と改めて思うようになって。そこで感じた後悔の気持ちから、どうやったら来てくれる人たちに喜んでもらえるのか、ということをとことん考えるようになりました。そこから試行錯誤をしていって、最近ではありがたいことに満足度が高い個別会、と言っていただくことも増えました。
――生田さんが入って数年した頃、ZDA(全国同時握手会)も始まりました。一人で一都市を請け負う握手会を担当するという革新的な内容でしたが、プレッシャーを感じたりすることはありましたか?
いつも来てくださるファン以外にも、地元の方が気軽に参加してくれるということも多くあって、それはZDAならではの醍醐味だと思います。でも無事完売できるか、みたいなプレッシャーは常にありました。だから、絶対いつも来てくださる”いつメン”的なファンの存在はすごく大きかったですね。心の中でめちゃくちゃ救われていました。でも本音としては、ZDAをする時は一人で抱え込まないためにも二人以上で回りたいですね(笑)。
――2014年の春には当時リーダーだった道重さゆみさんが同年の秋に卒業することを発表して、9期メンバーが一番上になることが決まりました。
自分たちが一番上になることが決まった時には、9期全員で話し合いをしました。時期的にも年齢的にも早かったから、思い返すと心が成長しきれていないまま一番上になってしまったという感じはありましたね。聖に関しては17歳にしてモーニング娘。の歴史を背負ってリーダーになるという。すごいですよね。当時私たちが一番怖かったのは、先輩方がいなくなることで自分たちが憧れていた時のモーニング娘。ではなくなってしまうんじゃないかということでした。道重さんをはじめ先輩のファンの方々にもずっと応援し続けてもらうためには、もっと魅せ方を研究しないとだめだよね、とか自分たちなりに試行錯誤していたと思います。会社の人からも「(道重さんの)卒コンはいつもよりいろんな人が見てくれる場になるから、一人でも多くの人に気になると思ってもらえるようにパフォーマンスしたほうがいいよ」とも言われていて、卒業ツアーに向けては全員すごく気合いが入っていました。さらに私は道重さんの卒業タイミングで、サブリーダーを務めることになりました。
――一番上のメンバーになることで、生田さん個人の変化はありましたか?
道重さんが卒業する前後ぐらいから、自分の好きなものを含めていろんなことが理解できるようになってきました。たとえば自分に似合う衣装の形だったり、歌詞を含め曲の世界観を表現することだったり。加入してからずっと「歌詞の意味を理解してパフォーマンスして」と言われていたけど、その感覚がやっと分かってきたのがこの頃だったと思います。自分の中身が変化したことで、明るい曲より失恋ソングや悲しい系を急に好きになったりもしました(笑)。
でも曲の解釈って人にもよるし、急には難しいんですよね。なのでパフォーマンスについて迷っている後輩と話す時は、「こういう曲だから」と押し付けるのではなく「私はこう思ってるんだよね」という形で一つのアイディアとしての自分の解釈を話してみたりしています。あとは「なんとなくこの曲が好き」で終わらせないで、「この歌詞が好き」というところまで探してみたりするのもいいと思うよ、みたいなことを伝えたり。リズムとかノリが好き、というだけでなく、好きな歌詞を探してみることで解釈がしやすくなるかもしれないし、普段はあまり聞かない曲調のものの中にも、すごく分かる歌詞があるかもしれないので。なんでもいいんですけど、より一歩踏み込むことで曲の解釈に繋がっていくと思うので、そういう部分を特に新しいメンバーには大事にして欲しいなと思っています。
――パフォーマンス面に関してはどうですか?
道重さんが卒業した後、道重さんのパートを結構受け継ぐことになって、歌割りがちょっと増えました。歌うことに関しては正直今でも得意とは言えないですけど、自分なりに研究はしていて。最初の頃はとにかく昔の先輩たちのパフォーマンス映像を見まくっていましたね。先輩の歌い方や声の出し方をマネしてみたり、モーニング娘。としての魅せ方やファンの人たちがどういうものが好きなのか理解することで、少しずつ学んでいったと思います。ボイストレーニングにも通っていましたが、その成果をステージ上で披露するまでには結構時間がかかってしまいました。歌うことにフォーカスすると、意識しすぎるのか逆に喉が閉まってしまったり、リズムや魅せるためのパフォーマンスが疎かになってしまうタイプだったので、そこは失敗と経験を重ねながら試行錯誤していましたね。
モーニング娘。’25のInformation
7月2日(水)発売となる、75枚目の両A面シングルにして、生田衣梨奈さんのラストシングル。初回生産限定盤SPに付属するBlu-ray Discには「COUNTDOWN JAPAN 24/25」(2024/12/30 幕張メッセ国際展示場)の映像と、話題になった「THE FIRST TAKE」の歌唱映像も収録。
●いくたえりな 1997年7月7日生まれ、福岡県出身。2011年に9期メンバーとしてモーニング娘。に加入。2014年にサブリーダーに就任、2023年11月よりリーダーを務める。愛称はえりぽん、メンバーカラーは黄緑。特技はゴルフでベストスコアは85。確固たるアイドル観を持ち、情に厚く、ストイックな一面も。身体的能力も高く、バク転などアクロバットをパフォーマンスに生かすことも。ノンノ本誌にもたびたび登場し、バラエティ番組などでも活躍する多彩な才能の持ち主。
ジャケット¥20900/レイ ビームス新宿 その他/スタイリスト私物
撮影/山越翔太郎 ヘア&メイク/𠮷﨑沙世子(io) スタイリスト/佐藤朱香 取材・原文/武内亜紗
ジャケット¥20900/レイ ビームス 新宿 その他/スタイリスト私物
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