友野一希の「トモノのモノ語り。」
友野一希連載「シーズン総括SP、オリンピックに向けて」【 #トモノのモノ語り。】vol.43
2025.03.18

こんにちは。フィギュアスケーターの友野一希です。
全日本選手権から四大陸選手権にかけての競技に関する近況報告、来シーズンに向けての意気込みなど、連載第43回目も盛りだくさんでお送りします!
全日本選手権

まずは昨年12月に開催された全日本選手権から。
今シーズンの全日本については、やり切れなかった思いが残るというのが正直な気持ちです。
ただ試合への臨み方や、メンタル的な部分では成長を感じています。周りを気にすることなく自分に集中できていたし、常に冷静だったと思う。
だから今回の結果については、僕の場合は試合の雰囲気どうこうではなく、今の実力によるものと考えています。

成功確率50:50で臨んだ全日本
今回の結果は、過去の全日本と比べ、大会本番までに調子を上げ切ることができなかったことによるもの。
全日本の前はちょうど少しずついい練習ができるようになっていた時期。ノーミスの割合がかなり増えてきて、最低ラインがどんどん上がってきている感覚がありました。
だけど例年の全日本前に比べたら、正直全然マックスまで上がり切っていなくて。それが最高潮まで到達するにはあと1週間。当日の公式練習でぎりぎり間に合うかどうか。成功確率50:50で臨んだ全日本でした。

実際の演技は、50:50だと感じていた通りの内容でした。ショートはアクセルやスピンでミスをしながらもなんとか踏ん張れましたが、フリーはうまくいかなかった。
ショートは勢いでいけることもあるけど、フリーはやっぱり練習の成果が出る。だからフリーでいい演技ができなかったというのは、練習で足りない部分があったということ。現に練習で確実に成功していたジャンプは本番でも決まったし、不安だった4回転にはミスが出ました。
それにショート、フリーともに自分をうまくコントロールできていたし、終始いい気持ちで臨めていた自覚があった。だからこそ、フリーでミスが出た原因は精神的なものではなく、やっぱり練習。改めて練習の大切さを痛感した大会でした。
ケガによるピーキングのズレ

どうしてこうなったかを自分なりに分析すると、ケガによりいつもよりスパートをかけるタイミングがずれてしまったから。
いつもならグランプリシリーズの前からスパートをかけ、一気に全日本の本番にもっていくというのが僕のやり方。だから本当は練習できなかった期間の分を考慮した上で、全日本までのペース配分をしなければいけなかった。
いつも通り追い込んで練習をやっていたつもりが、知らず知らずのうちにそのズレが影響してピーキングのタイミングが合わなかったんです。
今シーズンは本当に学びが多い1年になりました。悔しさは募りますが、あとはそれを結果につなげていくだけ、そう前を向いて12回目の全日本選手権を終えました。
四大陸選手権の代表決定
僕が四大陸選手権の代表決定の知らせを聞いたのは、女子フリーの応援を終えて帰宅した車の中。連絡が来た瞬間、今まで張り詰めていたものがぷつっと切れたというか、とにかくほっとして1時間くらい車から動けませんでした。
去年は大会への派遣がなかったので、ただただあってよかったという気持ち。自宅に帰ってからやっとひと息ついて、「とにかく頑張ろう」そう思って眠りにつきました。
「メダリスト・オン・アイス」での『Don’t Fall in Love』

代表発表の翌日は、「メダリスト・オン・アイス」に出演。今シーズンのエキシビションナンバー『Don’t Fall in Love』は、滑りで魅せるすごく難しいプログラム。だから毎回エキシビが一番緊張してるかもしれません(笑)。
実際、グランプリシリーズでの初お披露目はエッジが正確ではなかったし、気持ちよく滑ることができなくて。なかなかひどい出来に反省していたんです。
今回はその時に比べるとよくなったけど、ステップの部分でうまくインサイドに乗れなくて。振付してくれた(村元)哉中ちゃんにも後から「あそこできてなかったでしょ」って言われて、「ば、ばれてた……」って感じでした(笑)。
次回はもっとクオリティが高いものをお見せできるよう精進します!
全日本選手権が終わってからの日々
全日本選手権後はいつもどっと疲れが出て、体調を崩しがちな僕ですが、なんとか無事に年末年始を迎えることができました。
いつもは力を出し切った反動で抜け殻みたいになっちゃうんですけど、今回はちょっと複雑。演技は悔しい内容になってしまったので、いつもより終わったって感じがあまりなくて。
だけど前回より順位を上げることができましたし、四大陸への出場権をもらえたので、まだチャンスはあると気持ちを切り替えました。
とりあえず年が明けるまではあまり難しいことを考えず、気持ちよく滑って体を動かしておくということを意識した練習を行っていました。
今までだと全日本を終えたら「はい! 一旦休もう!」って感じだったけど、今シーズンは日程が早かったこともあり、意外とお正月までが長くて。早くお正月にならないかなってそればっかり考えていました。
2025年滑り始めは名フェスで!


ようやく年が明け、2025年の滑り始めは名フェスで(名古屋フィギュアスケートフェスティバル)。
毎年1月の初めに開催される名フェスは、新しい年の始まりって感じがして大好きなアイスショーです。
僕は本当にこのアイスショーにお世話になっていて、出演はもう6回目! それだけに思い出もたくさんあって、今年もまた出られたことの幸せを嚙み締めつつの演技となりました。

僕が滑ったのは、今シーズンのショート『Tshegue』/『Muanapoto』。会場も盛り上がるし、やっぱり一番滑り込んでいたプログラムが一番いいかなと思ってセレクト。新年一発目ということで、お正月で少しなまっていた体にはちょっときつかったですけど(笑)、しんどいながらも超楽しかったです。寒い中でも観客の皆さんがたくさん盛り上げてくださり、その空気感がとても幸せでした。
このショーのおかげで、いい2025年のスタートが切れたような気がしますし、来年も呼んでいただけるように今年1年頑張ろうと決意を新たにしました。
国民スポーツ大会
人生最大のスランプ
全日本の悔しさは次の大会にぶつけるのみ。そう意気込んで臨んだ国スポ(国民スポーツ大会)でしたが、そこには過去一のスランプが待っていました。
今シーズンは、ジャンプをより理解してクオリティを上げたいという気持ちがあり、練習動画を見返しながらものすごく細かいところまでチェックして練習をしていたんです。その結果、氷の上で考える時間がすごく長くなってしまって……。
その背景にはケガの影響もあったのかな。そもそも僕ってケガをしたことがほとんどなかったじゃないですか。だから変にいろいろ考えすぎちゃって、体がどんどん硬くなっていってしまったんですよね。
そうこうしているうちに、人生でなかなか経験したことないほど調子が落ちて、ジャンプも全然跳べなくなって。今思い返してもかなり苦しい時間を過ごしました。
復調のきっかけは平池先生からの言葉
試合後も不調を引きずったまま、なかなか気持ちが上がらない日々が続いていたある日のこと、平池(大人)先生からこんな言葉をかけられたんです。「考えるのもいいことだと思うけど、考えるばかりで体が動いてない。まずは失敗してもいいから、体をどんどん動かしてみるべきじゃない?」って。
その先生の言葉で、僕はちょっと繊細になりすぎていたんだと気づきました。これをきっかけに一気に吹っ切れて。あれだけできなかったのが嘘みたいに思えるほど、見える世界が180度変わったんです。
これまで僕はまず目指す理想のジャンプを設定して、トライ&エラーを繰り返しながら少しずつそこに近付けていく、というやり方の練習をしていたんです。でもそれだとゴールまでのステップが多すぎて、その分立ち止まる時間も長かった。
でもそうじゃなくて、まずは出力を上げることから始めてみる。失敗したっていいから、それを超える勢いで思い切り体を動かしてみるんです。理想のフォームを作るのはその後でいい。そう意識してから一気に動きがよくなって。多分先生もこういうことを伝えてくださったんだと思います。
この一年間悩みに悩んでたことに結論が出たような、とにかく全力でやってみないと分からないこともあるというのを改めて知った出来事でした。
四大陸選手権

3年ぶりの四大陸選手権
先生のおかげでスランプから抜け出し、3年ぶりの四大陸選手権へ。前回出場した時は銀メダルだったので、次は金しかないと意気込んでいました。
韓国での四大陸選手権は2020年以来5年ぶり。前回は羽生(結弦)くんが会心の演技で優勝したり、僕もショート、フリー、合計で自己ベストを更新したりと、印象的な試合だったので強く記憶に残っているんです。あの時はショートノーミスで90点に届かなかったのが悔しくて。やり切れたっていう気持ちで終われるようベストを尽くしたい、そう思って臨んだ大会でした。
来季に向け、一皮むけることができた大会に

大会自体はショート3位、フリー4位、総合4位と、非常に悔しい結果となりました。
でも四大陸まではほんとに充実した練習ができていたし、それが演技にも表れていたと思うんです。
振り返ってみると、今季初めてやっとまともなフリーを披露できたんじゃないかな。体の動きやジャンプの浮きが全然変わって、自分本来のジャンプが戻ってきた感じ。シーズン中では一番いいジャンプを跳べた感覚もあります。
本当にいろいろなことがあった1年間、もがきながらも最後の試合でようやく自信を取り戻すことができました。

それから応援してくださった皆さんにも感謝の気持ちを伝えたいですね。演技後に客席から大きな声援をいただいてとても驚きました。すごくたくさんの方が応援してくださっているんだというのが伝わってきて、めちゃくちゃうれしかったです。応援ありがとうございました。
2024-2025シーズンを振り返って

今シーズンの苦しみは自分にとっての財産で、最後のピース
2024-2025シーズンは大会前にケガを負ったり、全然ジャンプが跳べなくなったりと、波乱の連続でした。でもオリンピックシーズン前に自分がまだ経験できてなかったことを体験できたのはラッキーだったと今は考えています。
シーズン中にケガをしたことがない僕は、もしオリンピックシーズンにどこかを痛めたらどうしようと前々から少し心配していたんです。でも今回経験したことで、ケガの中での調整法を学ぶことができました。
それにもともとケガをしたのだって、己の限界を超えようとしたからこそ。来シーズンは今季以上に自分を超えていくための練習をしていくことになる。その時に自分がケガをするギリギリのラインを知っているというのは、来シーズンを戦い抜く上で大きな助けになると思うんです。
だから今シーズンの苦しみは、自分にとっての財産だといってもいいと思う。この経験こそが僕に必要な最後のピースだった、そう考えています。
オリンピックまで先生をたくさん喜ばせたい

そしてこうして前を向くことができたのは、平池先生の存在があったからこそ。
大事な時はいつだって平池先生が最後の最後に背中を押してくださる。
普段は何も言わずに見守ってくれることが多いから、その分一発が大きくて。大事なターニングポイントですっと的確な言葉をかけてくれるんです。言われた瞬間は僕も反論しちゃって、けんかになったりもするんですけど(笑)。後から考えるとやっぱり先生の言うことは正しいなっていうことがほとんど。
先生がいてくださらなかったら、四大陸は乗り切れなかった。本当に感謝しています。だからオリンピックまで先生をたくさん喜ばせられるよう頑張りたいなって心の底から思いました。
来シーズンの計画

揺るぎない闘争心とともに、全力でオリンピック代表を掴みに
来シーズンはいよいよ勝負の年。今回ばっかりはわがままになって、もう手段を選ばず、できることはすべてやって全力でオリンピック代表を掴みにいくつもりです。これまではみんなでスケート界を盛り上げていきたいという気持ちが大きかったんですけど、もう来シーズンだけは“自分が一番になれたらそれでいい”というくらいの強い気持ちで、揺るぎない闘争心をもってやっていければと思います。
正直に言うと、今シーズンはもうちょっとわがままになってもよかったな、と思うところもありました。だから来シーズンは自分の欲に忠実に、できることはすべてやろうと。
たとえば練習環境も今までのものに囚われずにどんどん変えていけたらなって。メインのコーチを変えるとかいうのではなく、自分を押し上げてくださる方に頼ったり、ジャンプを改善したり。決まってないこともあるので今の段階では詳しくはお話しできないですが、頼れるものはすべて頼って、とにかく競技に集中して、一日一日を後悔なく終えられるように過ごします。
来シーズンのプログラム

来シーズンのプログラムについては、ショート、フリーともに早めに振付を行い、アイスショーでどんどん披露して磨きをかけていくつもりです。
ショートに関してはたくさんの案がありとても悩んだのですが、今回もシェイ(シェイリーン・ボーン)にお願いすることに。もう間もなく振付を始めるところです。
フリーは、2023-2024シーズンの『Halston』。先日の「滑走屋」で久しぶりに滑ってみて、やっぱりいいなって思ったのも決め手の一つでした。
『Halston』は、僕の成長のためにミーシャ(・ジー)が作ってくれたとびきり難しいプログラム。でも今シーズン一度ローリー(・ニコル)のプログラムを経験したことによって、もっと改善できる部分があると気づきました。これからミーシャ(・ジー)と一緒にさらに素晴らしいプログラムにしていけたらと思います。
だから再演というよりも、『Halston(改)』みたいな感じ。2021-2022シーズンの『ニュー・シネマ・パラダイス』のように、ブラッシュアップした濃密なプログラムをお見せできるかと思います。
やっぱり「滑走屋」は最高!

先ほど話題に挙がった「滑走屋」についても少しだけ。
先日二度目の「滑走屋」を無事完走。これから新シーズンに向かう上で、とてもいいモチベーションになりました。

滑っている最中はなかなか分からないですけど、動画で見ると初演時よりかなりパワーアップしていて! 上から見たフォーメーションもすごくきれいで、オリンピックの開会式のショーを見ているんじゃないかと思ったくらい。「お客さんいいな、僕も見たい!」と思っていました(笑)。
こんなふうに思えるショーに出られたことは自分にとって大きな宝物。だからこそ、一回り成長した姿で帰ってきて、「滑走屋」をより盛り上げていけたらと強く思いました。


「トモノのモノ語り。」読者の皆さまへのメッセージ
ここまで読んでいただきありがとうございます。
連載「トモノのモノ語り。」はもう43回目。
ここでこれからオリンピックシーズンを迎えるにあたり、自分の中でけじめといいますか、競技にしっかり集中するために、一時休載という形をとらせていただこうと思います。
この連載では、普段自分が考えていることからやってみたいことなど、何から何までさらけだした感があって(笑)、すっかり自分の生活の一部になっていた部分もあるので、正直めちゃくちゃ寂しいです。
ですが、これからのオリンピックまではアスリートとして、そして一人の人間として、間違いなく人生の中で一番大切な時間を送ることになると思います。
ですので、読者の皆さんには僕のそういった姿を見てもらえたらと思いますし、成長していく過程を見守っていただけたらと思います。
人生をかけて何かを頑張った後って、きっと見ている世界が変わったり、価値観にも変化があったりすると思うんです。もちろん根本的な部分は今のままだと思いますけど(笑)、そういった進化を感じていただけたらうれしいです。
「トモノのモノ語り。」は僕の生活の一部
最初にノンノさんに取材をしてもらったのが2022年の4月。その後連載が始まって、そこからもう3年近く経ったなんて自分でもびっくり。
3年の間に新しい趣味もできたし、ファッションの話もたくさんしてきましたよね。好きな服のテイストも今とは全然違って、懐かしくて愛しい大切な記録です。
「トモノのモノ語り。」は他では聞くことできないプライベートに関するトピックが注目されがちだと思うんですけど、僕としては今そのままのスケートに対する気持ちを最もクリアに、ライブで配信してきた連載でもあったんです。
これは本当の本当で、この連載あっての自分みたいなところがあったので、ノンノさんなしでは自分のこの3年間は語れないですね。連載が始まってから、スケートの成績が上向いたみたいなところだってあるし(笑)。
毎回本当に楽しかったんですよ。次何話そうかな、こういう企画をやってみようかなとかを考えるのは。それが逆にスケートへのモチベーションにつながることもありました。
勝手に「滑走屋」や「氷艶」の特集も組んだりとか、本当にやりたい放題やらせていただいて、僕のスケートが好きって気持ちが一番詰まっていたと思います。
あとはパーソナルの連載だからこそ、自分と対話することで自分を深く理解する機会にもなっていました。ノンノさんから取材していただく度に、自分がこんなことを考えてたんだと気づくことが多くて、今日取材してもらってよかったなあって思って終わることがほとんどでした。取材によって考えがまとまったり、また頑張ろうと思ったり。なんか僕にとってカウンセリングみたいな時間でしたね(笑)。
今だから言えるんですけど、読み返すとその時の精神状態が手に取るように分かるんですよ。あ、この時悩んでたんだなとか、めちゃくちゃ生き生きしている時だなっていうのも分かりやすくて(笑)。それぐらい素直に向き合ってきた証拠ですね。
僕の連載ではあるんですけど、自分も読者の一人だったみたいなところがあって。自分大好きみたいで恥ずかしいですけど、いつも「うわ、いい連載だな」って思いながら読み返してたくらい(笑)。それくらい一つ一つにこだわりをもってやっていました。
公開前に一度確認しているくせに、それが「non-no web」にアップされるのがすごく楽しみで。公開されたら僕も皆さんと同じく記事にアクセスして読むっていうのが恒例になっていました。
僕はもちろん、家族も毎回連載を楽しんでくれていて。「お気楽お悩み相談室」については、何を一丁前なことを言っとるんや、と毎回恥ずかしくなったり。母親にも「あんた、こんなの当たり前のこと言うてるだけやろ」とか言われたり(笑)。こういうのも大切な思い出の一つですね。
それから僕も、毎週アクセスランキングが出る度にちゃんとチェックしていました。「よし、今回も1位だ! わ、今回は負けてる!」とか(笑)。そんなふうに毎回盛り上がっていました。
この連載を通してスケートの魅力が伝わっていますように!
webだけではなくて本誌にも呼んでいただいて、大ちゃん(高橋大輔さん)と一緒に出演させていただいたのはすごく印象に残っています。それからスペシャル企画として、(山本)草太と(島田)高志郎と一緒に浅草で大人の修学旅行を満喫したのも楽しかったな。
何より感謝しているのは、地元・堺の企画。僕の愛する街とのコラボレーション企画を立ち上げてくださるなんて本当にすごいことですし、いつもとてもいい形で応援していただいて本当に感慨深いです。僕も恩返しできるよう、もうちょっとビッグになって帰ってきたいと思います。
引退したらやりたい企画が本当にたくさんあるんですよ。だからこそまずはアスリートとしてやるべきことをしっかり成し遂げて、表現の幅を広げて戻ってきたいです。
だから今は自分にとって一番大切なオリンピックのために、ちょっとだけわがままを通させていただきたいと思いますので、それに付き合って応援していただけたら。
ほんとに恥ずかしいくらい友野一希という人間のすべてが掲載されている連載だったので、休載してい間はちょっとミステリアスな僕でいきたいかなと(笑)。こうやって報告できないのは寂しいですが、来シーズンは競技での姿で近況を追っていただけると有難いです。そして時々連載を読み返してみてくださいね。
最後になりましたが、いつも「トモノのモノ語り。」を読んでいただきありがとうございました。この連載を通して少しでもスケートの魅力が伝わっていればいいなと思いますし、スケートに親近感をもつきっかけになっていたら幸せです。
僕はこれからスケート人生の集大成を目指し、誠心誠意頑張りたいと思いますので、今後とも応援よろしくお願いします。
Staff Credit
語り/友野一希 企画・構成/轟木愛美
地元のおすすめスポットをナビ!
「堺市おさんぽMAP」企画は2025年8月まで実施中!
Kazuki Tomono 友野一希
フィギュアスケーター
1998年5月15日生まれ、大阪府堺市出身。
2026年のミラノ・コルティナダンペッツォオリンピックを目指す男子シングル日本代表。感情をスケートにのせ、観客の心まで躍らせるHappyな演技で世界を熱狂させる愛されスケーター。
古着、サウナ、インテリアショップ巡りなど多彩な趣味をもつ26歳。実直な人柄、好きなことに対する探究心など、近年は競技以外で見せる魅力にも注目が集まる。
表現の名手であり、オフシーズンはアイスショーに引っ張りだこ。各ショーの特性に合わせた多彩なパフォーマンスでエンターテイナーぶりを発揮している。
新たな振付師とタッグを組むことで表現の可能性をさらに広げた2024-2025シーズンを終え、いよいよオリンピックシーズンへ。自身の原点でもあるミラノの地を目指して自分至上最高のスケートを完成させる。

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