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2023.09.01更新日:2024.08.09
――2012年は1月に10期メンバーが加入して初のシングル『ピョコピョコ ウルトラ』がリリースされ、本格的な新体制がスタートします。このあたりからイベントやメディアなどで“9期VS10期”のような切り取り方をされる機会が増えたと思いますが、振り返ってみてどうですか?
譜久村 9期と10期に加えてスマイレージ(現アンジュルム)の新メンバーという同世代の集まりで、『~ガチ☆キラ~』というバトルイベントとかをしていたのもこの年ですよね。確かに何かとバトルしていましたね(笑)。懐かしい……!
――2011年に10期オーディションが開催されると聞いた時は「私たちじゃダメだったのかな」と気を落としていたとお話されていましたが、実際に一緒に活動するようになってから変化はありましたか?
譜久村 加入時期が半年しか変わらないので、一応敬語は使ってくれているものの気持ち的には同期のような感覚でした。まず同い年のあゆみん(石田亜佑美)が入ってきてくれたことがうれしくて。同い年ってだけですごく安心する感じがあったのを覚えています。あとそれまで私の中では9期メンバーの3人がすごく個性的な存在だったんですけど、さらにもっと個性的というか、強烈なキャラを持つ子たちが入ってきた感覚でした。なんというか……すごい暴れん坊だったんですよ(笑)! 10期はとにかくどこにいても元気で、常にはしゃいでいるような感じだったので、その対比で9期は10期より落ち着いた子たちみたいなイメージになっていったようです。あとはその当時は9期と10期で子どもの喧嘩みたいなことをたくさんした記憶もありますね(笑)。
――当時10期に対してのライバル心みたいなものはありましたか?
譜久村 9期メンバーで集まっては「半年だけど自分たちが先輩だから、何事も10期よりできるようにしておこう」みたいなことはよく話していたし、意識していたと思います。当初10期は仕事中でも関係なく騒ぎ出したり遊んじゃったりすることがあったので、それに耐えきれなくなって9期がイライラしてしまうみたいなことも結構ありましたね(笑)。でも先輩たちの中では2011年にたくさん苦労をかけてしまったこともあって、9期=問題児という認識なので、その反動もあってか10期はそんなに怒られず。だから今思えばまだ私たちも幼かったなという感じなのですが、「10期はルールを守ってないし、遅刻もしてるのになんで!」という気持ちが9期内で大きくなっていきましたね(笑)。
――まさに今だからこそ話せるエピソードですね(笑)。
譜久村 本当にそうです(笑)。当時の10期の問題児と言うと(佐藤)優樹ちゃんってイメージがありそうですけど、どぅー(工藤遥)もその頃は小学生だったので本当に仕方ないんですけど、遠方から電車で通っていたのでよく電車で寝過ごしちゃってたりして。遅刻に関してはもちろんマネージャーさんたちがちゃんと怒ってはいたんですけど、それでも最終的に10期は愛嬌があって可愛い、みたいな感じになっちゃって(笑)。そこで不満を持つ9期の結束力がどんどん高まる……みたいな図式になっていましたね(笑)。
――逆に10期に共感を覚えるようなことだったり、9期にとってよかったと思えることはありましたか?
譜久村 もちろんあります! さっきはちょっと愚痴っぽい話をしてしまいましたが(笑)、それはあくまで子どもだった当時の気持ちであって。周りから比べられたりすることも多かったけれども、それほど近い存在だったんですよね。実際には怒られる時に一緒なことも多かったですし(笑)。今とはまた違う厳しい環境下で一緒に過ごしていたので、共感できることは本当に多かったと思います。
そして10期という存在は9期にすごくいい刺激をもたらしてくれました。殻を破るきっかけに繋がったんです。それぞれ4人ずついて、チーム戦みたいなノリで何かあるごとにお互いの譲らない精神を全開にして、ワーッと盛り上がるみたいな流れが生まれたからこそ、9期も遠慮せずに自分を出せるようになりました。さすがに昔ほどの勢いはなくなりましたけど、そういう空気感を一緒に作ってきた信頼感は、今でも私たちの中にちゃんと残っていると思います。
――2012年は『中居正広のブラックバラエティ』や『笑っていいとも!』などの人気TV番組に出演しましたよね。反響も大きかったのではないでしょうか?
譜久村 はい。本当にすごくありがたい機会でした。いまだにファンの方から「おもしろかったよ」と言っていただけたりするので、人気番組の影響力はすごいなって思います。でも当時の9、10期はそれがどんなにすごいことかよく分かっていなくて、普段の延長線じゃないですけど、さっき話していたようなお互いの譲らない精神全開で参加していました。ひたすら無邪気で、怖いもの知らずだったからこそ出せたパワーみたいなものがその時は逆によかったのかな、とも思いますね。
――そこにスマイレージの新メンバーが加わるとどんな感じになっていたんですか?
譜久村 9、10期だけだと暴走しがちだったけど(笑)、スマイレージには何事にも動じないりなぷー(勝田里奈)とか、ハロプロエッグ(現ハロプロ研修生)時代からずっと仲よしで気心知れた(竹内)朱莉ちゃんがいたので、私は心強かったしすごく安心感がありました。でも、めいめい(田村芽実)はすごくメラメラしていて、その感じは伝わってきていましたね(笑)。私が朱莉ちゃんと仲よくしすぎて「私たちのタケを取らないで」って言われたりしたことも懐かしいです(笑)。でもかななん(中西香菜)も含め、みんなで集まるとすごく楽しくて、個性がかぶらない12人の同期っていうイメージが残っています。
――そして新体制になって間もなく、新垣里沙さん、光井愛佳さんが卒業しました。そのタイミングで9期は急遽中間管理職的な立ち位置になりましたが、その状況を当時はどう感じていましたか?
譜久村 改めて振り返るとメンバープロフィールなどで、上から数えて3番目のメンバーになったことは、当時の自分にとって結構衝撃的な出来事でした。9期で力を合わせて頑張ろうとはしていましたけど、まだまだ具体的に先輩と後輩を繋ぐようなことは、全然できていなかったと思います。
――さらに11月には田中れいなさんが翌年に卒業することを発表しました。その時の心境は覚えていますか?
譜久村 これは先輩が卒業するたびに思っていたことなんですけど、「終わっていっちゃう……」と思いました。自分の大好きなモーニング娘。が終わっていってしまうという気持ちでいっぱいでしたね。田中さんはモーニング娘。の歌には欠かせない存在だったので、本当にどうしようって落ち込みました。でも残された時間で、しっかり田中さんの歌声から何かをもらわないとダメだっていう強い思いも自分の中に生まれて。なので田中さんが卒業発表をされてからは、より田中さんの歌声を聴くように意識して行動するようになりました。レコーディングを見学させていただいたり、ライブ中に音源よりも田中さんの声に耳を傾けるようにしたり。田中さんって本当にすごいんですよ。ライブ中に例え他のメンバーがずれちゃったとしても一人でずっとキレイに歌い続けているというか。声の素晴らしさはもちろんなんですけど、リズムが完璧なんです。実際に卒業された後も「田中さんだったらどうするかな」と考えながらレコーディングしたり歌の練習をしたりしていました。
――大変だったことのほうが多いと思いますが、2012年でうれしかった、もしくは楽しかった思い出はなんですか?
譜久村 2011年に加入してすぐ歌で大きな壁にぶつかったんですけど、だからこそ頑張らなきゃっていう気持ちはすごくありました。なので2012年にリリースしたシングルの『恋愛ハンター』で初めてコーラスRECに挑戦させていただいた時は本当にうれしかったです。コーラスってなんかちょっとした特別感があるじゃないですか。そして舞台『ステーシーズ 少女再殺歌劇』。セリフこそ少ない役でしたが、だからこそ歌で頑張ろうって思って取り組んでいたんです。そうしたら田中れいなさんに褒めていただいて、それも本当にうれしかったです。自分の頑張りを評価していただくことで、歌に対して少し自信を持つことができましたし、より頑張るぞー! とモチベーションがすごくアップしました。
田中さんには結構気にかけていただいていて、レコーディングの時に「ふくちゃん、こっちに来て!」って近くに呼んでくださって「れいなの横で歌ってみて」って言っていただいたこともありました。めちゃくちゃうれしかったので、すごく覚えています。
――2012年はグループ初の世界握手会ツアーもありましたよね。海外での思い出もあれば教えてください。
譜久村 世界握手会ツアーもすごく楽しかったです! 高校生以上のメンバーだけが参加できたので、道重さん、田中さん、はるなん(飯窪春菜)、あゆみんと私の5人がグループを代表して台北、バンコク、パリ、ソウルに行きました。新メンバーの中では年上組ということで普段は何かと損することが多いなと感じていたんですけど(笑)、この時ばかりは年上組でよかった〜! と思いましたね。先輩たちと一緒に『Be Alive』を歌えたこともうれしかったですし、田中さんとはるなんの誕生日を、ファンの方たちがサプライズでお祝いしてくれる瞬間に立ち会えたことも印象に残っています。握手会での距離感が日本とは全然違ったりしたのでビックリすることもあったんですけど(笑)、とにかく「すごく貴重な経験をさせてもらっているな」と感動の連続でした。まず、空港で出待ちをしてくださるファンの方たちがいたことが衝撃だったんですよ。実際に自分の目で見て「海外にも自分たちのファンがいるんだ」って知ることができたし、中には私のハロプロエッグ時代の写真を持っている方もいて、「こんなに応援していただいているんだからもっと自分に自信を持たないと」とも改めて思いました。
――今のモーニング娘。に欠かせない名曲『One・Two・Three』がリリースされたのも2012年ですよね。思い出に残っていることはありますか?
譜久村 『One・Two・Three』は50枚目のシングルということで、すごく節目というか、私たちにとっても特別な一曲です。ヒット祈願をしに栃木の日光東照宮を訪れたりしたことも印象に残っています。2012年は活動を通して本当にいろんな場所に行けた一年でした。
あと『One・Two・Three』をリリースしたぐらいのタイミングから同性のファンの方、新規のファンの方が増えた気がします。もともと男性や女性ということを意識していたわけではないんですけど、さらに幅広い層の方に知っていただけることが純粋にうれしかったです。『ガールズアワード』でパフォーマンスさせていただいた時の記憶もすごく残っていて、女性ばかりに囲まれて女性の声援がたくさん聴こえてくるようなステージが当時は初めてだったのですごく新鮮でしたし、同時にうれしかったです。実はその時その場所に、今はつばきファクトリーのメンバーである小野瑞歩ちゃんもいたらしくて、そこからファンになったというエピソードも後から聞いたんですけど、めちゃくちゃうれしかったですね。
50枚目のシングル。EDMを取り入れ、その後のモーニング娘。の路線を決定づけた。
――おなじく当時の新体制のモーニング娘。を代表するアルバム『⑬カラフルキャラクター』が発売されたのも2012年ですよね。
譜久村 『⑬カラフルキャラクター』は特に大好きなアルバムなんです。先輩二人にはそれぞれソロ曲があって、9期と10期は『笑って! YOU』という楽曲をいただきました。ライブで人気の『ドッカ~ン カプリッチオ』とかもこの時のアルバムに収録されていたのかと思うとちょっと歴史を感じますね。あと個人的にはこの時の衣装もすごく可愛くてそれも印象に残っています。そしてこのタイミングだともう小田(さくら)が加入してますね。 秋のツアーで発表になったので、それもすごく記憶に残っています。
――11期の加入するタイミングも10期に続いて早かったですよね。当時の心境は覚えていますか?
譜久村 新メンバーオーディションがあると聞いた時は「また……!? 」とは思いました(笑)。もちろん焦りは感じましたけど、10期の時に一度経験したこともあってメンタルはそこまで落ちなかったです。逆に10期は相当ショックを受けていたと思います。私たちと同じように「自分たちがダメだったのかな」とかそういうことを考えてしまっていたのかな。
――実際に11期として小田さんが入ってきた時はどうでしたか?
譜久村 小田は昔から本当にまったく人見知りをしない子で。物おじせず先輩メンバーにも接してくるタイプだったので、急に抱きつかれて焦る10期を見て「いいぞ、もっとやれやれ〜」とか思っていました(笑)。そこで10期が「私たちのほうが先輩なのに」みたいなことを言い出して、「あなたたちも9期に同じようなことしてきたでしょ〜!」とか突っ込んでみたり(笑)。小田は一人加入だったんですけど、普通だったら直近の先輩が4人いて、さらにその上にも4人いるみたいな環境に放り込まれたら萎縮しちゃうじゃないですか。でもそこはさすが小田、という感じで。他の誰ともかぶらない強い個性がある子だったので、そういう子が入ってきてくれて本当によかったなと思いました。10期を一人で焦らせる貴重な存在だったと思います。
――11期加入の影響で9期と10期の関係性に変化は生まれましたか?
譜久村 11期オーディションがあると聞いたタイミングぐらいから結束力は高まったと思います。引き続き喧嘩もしていましたけど(笑)。でも9期が先輩として10期に注意するような機会が少しずつ出てきて、「このままじゃ本当にやばい」みたいな話し合いをしたことは覚えています。「今のグループで本当にモーニング娘。と言える存在は道重さんと田中さんの二人しかいないんだから。私たちまだモーニング娘。にはなれてないよね」といったことも話していました。自分たち新メンバーが頑張らないと、本当にモーニング娘。が終わってしまうという危機感がすごくあったので、それを10期とも共有したくていろいろ話しました。その時は10期もすごく真剣に話を聞いてくれて、みんなで「そうだね」って団結したのを覚えています。
――2012年を総括するとどんな年だったと思いますか?
譜久村 そうですね、この年以上に暴れることはもうこれからないと思います。一生分って言えるぐらいはしゃぎましたね(笑)。あとは10期のおかげで自分の殻を破ることができました。それまでの自分は性格的に、たとえば「(10期に)ズルいよー!」とか絶対直接言えないタイプだったんですよ。でも10期というメラメラさせてくれる存在がいて、みんな一緒に騒ぎまくったことで、自分の気持ちを自然と外に出せるようになったのはすごく大きな変化でした。
――最後に譜久村さんにとっての2012年を一言で表すと?
譜久村 「人生で一番暴れた年、自分を変えるきっかけをつかんだ年」です。歌の面でも成長はできたのではないかなと思うんですけど、田中さんが卒業した後に田中さんのパートがほとんど小田にいってしまって。そこでまた悔しい! まだまだだな、という感情が生まれて、引き続き頑張ろうっていう気持ちになりました。なので歌に関しての葛藤の話はまだ続くという感じですね。
『One・Two・Three』発売記念イベントのソロショット。
『モーニング娘。コンサートツアー2012春 〜 ウルトラスマート』のソロショット。
『モーニング娘。コンサートツアー2012春 〜 ウルトラスマート』のグループショット。
モーニング娘。’18『自由な国だから』
――毎回メンバー一人一人に、譜久村さんが贈りたいモーニング娘。の楽曲をセレクト。 第二回は15期メンバーの山﨑愛生さんです。
譜久村 私、(山﨑)愛生の高音がすごく好きなんですよ。すごく響きがあってキレイで。『なんちゃって恋愛』で愛生の高音のソロパートがあるんですけど、そこを是非皆さんにも聴いていただきたいです。あとは『愛してナンが悪い!?』とか『わがまま 気のまま 愛のジョーク』のソロパートもすごくいいんですよ。本人には自分の高音が魅力的だっていう自覚があまりないみたいなんですけど、素敵な個性だから大事にしてほしいということは実際に伝えたことがあります。そして今の愛生にはまだ子どもっぽい部分が残っていて、それがすごく大きな魅力なんですけど、これから年を重ねて大人になっていくじゃないですけど、いろんなテクニックを手に入れたら、本当にとてつもなくすごい子になると思うんです。なので高音が武器で表現力というテクニックを身につけた未来の愛生をイメージして、『自由な国だから』を選んでみました。この曲は個人的に“空間支配能力”みたいな表現が必要不可欠だと思っていて、強いオーラを発して歌わないと急に軽い印象になっちゃうのでそこが難しいんです。歴代のメンバーだと佐藤優樹ちゃんはそこをすごく上手に表現していたなと思っていて、愛生にはまた優樹ちゃんとは違う感じで魅せてほしいです!
●ふくむら みずき 1996年10月30日生まれ、東京都出身。ハロプロエッグ(現ハロプロ研修生)を経て、2011年に9期メンバーとしてモーニング娘。に加入。2014年にモーニング娘。史上最年少でリーダーに就任。2016年よりハロー!プロジェクトのサブリーダー、2019年よりハロー!プロジェクトのリーダーも兼任する。愛称はふくちゃん、メンバーカラーはホットピンク。当時のプロデューサー、つんく♂から「少しウエットな色気のあるメンバー」と評価を受け、独自の魅力を磨きつつステージでは高いパフォーマンス力を見せつけるオールラウンダーとしても知られる。
(譜久村さん)Tシャツ ¥5390/ココ ディール オーバーオール ¥24200/Carhartt WIP Store Tokyo イヤリング ¥3300・ ブレスレット ¥1980/サンポークリエイト(アネモネ) スニーカー ¥16500/コンバースインフォメーションセンター (羽賀さん)ポロシャツ ¥11550/フレッドペリーショップ東京 パンツ ¥14300/Carhartt WIP Store Tokyo ブーツ ¥18900/CHARLES & KEITH JAPAN(CHARLES & KEITH)
モーニング娘。’23
モーニング娘。ベストセレクション ~The 25周年~
モーニング娘。誕生25周年記念のベストセレクションアルバム。つんく♂によりセレクトされた、モーニング娘。歴代の人気曲の中から14曲、タンポポ・プッチモニの楽曲からそれぞれ1曲ずつを、現役メンバー12名(17期メンバーを除く)で再レコーディング。 加えて17期を迎えた新体制メンバーでの新曲『HEAVY GATE/なんざんしょ そうざんしょ/悲しくなるようなRainy day』の3曲も収録。計26曲、CD2枚組を初回生産限定盤と通常盤の2形態にて好評発売中。
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