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渡邉理佐が語る過去と未来のこと。オーディション、グループ卒業、モデル業…「新たな挑戦も怖くないし、楽しみしかない」

2025.02.04

7年9か月みんなの憧れであり続けた。
"読者が見たいりっちゃん"リクエスト祭りThe Final

渡邉理佐
non-noを卒業します

長い手脚に美しい顔、そして優しくて、ときどきいたずらっ子で。知れば知るほど魅力しかないりっちゃん。『non-no』のエースでいてくれてありがとう♡

発売中のnon-no3月号はりっちゃんがカバーガール&連載「りさいず」から理佐がセレクトしたベストカットを掲載したとじ込み付録の厚紙ピンナップ付き。お見逃しなく!

Last Interview

「なんとかなる」「大丈夫」。常にポジティブなマインドで駆け抜けた

渡邉理佐のこれまでと未来。

「欅坂46」のこと、「櫻坂46」のこと、そしてノンノモデルのこと。輝き続けた理佐、最後のインタビュー。

渡邉理佐卒業モデルカット7−1

ドレス¥154000(レンタル料金)/gemerci 【ピンナップ】ドレス(赤)¥187000/ケイスケヨシダ カンパニー リミテッド(ケイスケヨシダ)

ただひたすら人見知りでやんちゃな子ども時代

 決して前に出るタイプではなかったけれど、やんちゃだった子ども時代は、外で元気よく遊び、虫を捕まえたり木に登ったりと、とにかくアクティブでした。ローラーつきのスニーカーでスピードを出しすぎて一回転する勢いで転んだり、一輪車でぐるぐる回って尻もちついて大泣きしたこともあったなぁ。用水路に落ちてけがをしたり、自転車の車輪に足を突っ込んで打撲したことも。幸い骨折などの大事には至らず、昔から体は丈夫だったようです(笑)。性格は人見知りで内弁慶。それは大人になった今も変わらず。学校生活でも自分から話しかけに行くことができないので、誰かが話しかけてくれるのをひたすら待つタイプ。改めて考えると、“どうやってたくさん友達を作ってこれたんだろう?”と不思議に思います(笑)。

 そんな私も、小学校高学年頃になると、友達が『ニコ☆プチ』などを読み始めたのをきっかけに、雑誌デビュー。中学生頃になると『Seventeen』を読むように。当時は佐藤ありささんや桐谷美玲さん、本田翼さん、武井咲さんが活躍されていて、すごく憧れを抱きました。

 中学ではバレーボール部に入部。とっても厳しい部活だったので、上下関係もしっかり学び、毎日練習に明け暮れていました。先輩や後輩との接し方、チームとしてのあり方なども考えさせられ、貴重な経験だったと思います。中学時代は、“部活で始まり、部活で終わった”といっても過言じゃないほど(笑)。

軽い気持ちで応募したオーディションで生活が一変

 高校進学時は、“ブレザーが素敵”という理由で学校を選びました。中学時代は部活づけだったので、放課後に制服のまま友達と出かけたりバイトしたり、キラキラした高校生活に憧れがあって。とはいえ、また0からの友達作り。そこで、得意の“話しかけられ待ち”です。無愛想に見えないようにしつつ、一人で笑っていても怖いので、少しだけ口角を上げ印象よく(笑)。そのうち、友達も無事たくさんでき、充実した青春を過ごしていました。学校帰りにはみんなで映画を見たりプリクラを撮ったり。念願の“高校デビュー”です(笑)。

 高校2年生の夏、「欅坂46」のオーディション開催を知りました。応募したきっかけは、友達からすすめられて。夏休み中でネットから気軽に応募できたので「ちょっと送ってみよう」という軽い気持ちでした。芸能界なんて自分とは別世界のことだと思っていたし、まさか受かるとも思わず。なので、応募から2週間ほどたち、書類審査が通ったと連絡を受けた時は、とにかく驚いてしまって。戸惑いながらも2次審査、3次審査と進み。最終審査の時に初めて、もともとの負けず嫌いな性格が顔を出し、「ここで落ちたら悔しい! 絶対に受かりたい!」と思ったんです。そして合格をいただいた際には、信じられなくて頭が真っ白になって、その日の記憶はあまりないほど。審査会場の近くで待機してくれていた母も、同じくらい驚いていたのを覚えています。

 オーディション開始から合格発表までの日程は、すべて夏休み中に終わるスケジュールでした。あっという間に10月から上京し転校することも決定。すべてが目まぐるしく進んでいって。転校前に高校の友人たちが、放課後にお別れ会を開いてくれたんです。先生も協力してくださって。職員室に呼び出されて、“何か怒られることしたかな?”とドキドキしながら先生についていったら、他の教室に10人くらい仲よしが集まっていて。ケーキやピザ、お菓子の用意もしてくれていて、うれしかったなぁ。その子たちとは今でも仲よくしてもらっているほど、いい出会いのあった高校生活でした。

アイドルとしてデビュー後ノンノモデルへの加入も決定!

 上京してからは、ダンスや歌、ウォーキングに演技と、レッスンづけの日々がスタート。アイドルに憧れ強い気持ちで入ってきたメンバーも多く、歌やダンスの経験がない私は、“すごい子たちのなかに来ちゃった……”と呆気にとられるばかり。自分は何ができないのか、何が疑問なのかも分からないほど、目の前の課題をこなすのに精いっぱい。ただ、不安になることはなく、持ち前のポジティブさを発揮し、“なんとかなる!”とは常に思っていました。メンバーたちとは学校でもレッスンでも常に時間を共にしたので、打ち解け合うのも早かったと思います。

 お披露目ライブでは、数か月前まで普通の高校生だった私を応援してくださる人がいるということに驚き感動。“このグループで頑張って大きくなるぞ!”と思えた瞬間でもあったなぁ。デビュー後はさまざまな方々が「欅坂46」の曲を好きだとおっしゃってくださって、反響の大きさに驚きました。

 そして、グループとして活動を始めた1年目で、なんとノンノモデルのオーディションに合格! 合格を知った時は、「欅坂46」に受かった時と同じくらい驚いて。しかも愛読していた『non‐no』。“え!? 私がノンノモデル? 大丈夫かな?”と困惑するばかり。当時の『non‐no』には、坂道グループの大先輩でもある西野(七瀬)さんをはじめ、(本田)翼さんや(新木)優子さんなど、大活躍されている素晴らしいモデルさんがずらり。そんなノンノモデルの一員になれるとは、うれしさより驚きのほうが強かったのを覚えています。デビューページの写真は、今見ると緊張して顔が引きつっているのが分かる(笑)。最初の頃は、どうしたら服が素敵に見えるのかも分からず、カメラマンさんの指示通りに動くのが精いっぱいでした。衝撃を受けたのは(鈴木)友菜さんと一緒になった撮影でのこと。“ポーズをとる”という感覚ではなく、絶えずなめらかに動きを止めない友菜さんがとてもキレイで、すごく印象に残っています。

 西野さんとの撮影はとにかく緊張でガチガチに。カメラマンさんから“顔を見て目を合わせて”と指示されても、恐れ多いし恥ずかしいし、心臓が飛び出しそうだしで、目を見られなかった記憶が(笑)。隣に立つ西野さんは、顔がとても小さくて小動物のようにすごく可愛くて。勝手ながら守りたくなる気持ちになりました。ノンノモデル1年目で、まだモデルになりたての私が西野さんとカバーを飾らせていただくこともでき、貴重な経験をさせていただきました。

 優子さんとの出会いは、一度だけ撮影で一緒になった時でした。以前からずっと憧れの存在だった優子さんを前に緊張している私に、優しく話しかけてくださって。「りっちゃん」というあだ名もつけていただいたんです。その後、ライブに来てくださった際に連絡先を交換してもらった時にはすごくうれしくて、自分でも信じられないほど泣いちゃいました(笑)。優子さんがつけてくださったあだ名が、ファンの方たちの間に浸透したのもうれしかったなぁ。

渡邉理佐卒業モデルカット7−3

写真集発売にグループ改名、『non‐no』50周年を経験

 ノンノモデルとして2年目に入った頃、『non‐no』編集部から写真集を出版させていただくことが決定。海外での水着撮影など初めてのことばかりで、とにかく不安でいっぱいに。“まったく売れなかったらどうしよう”とナイーブになったりも。撮影はアメリカのマイアミ&バハマにて。撮影に入る2か月前から、ジムのトレーナーさんについていただき体作りにも励みました。タンパク質をきちんと摂取し、脂肪は落としても筋肉は落とさないように。体の仕組みや栄養についての知識も増え、この後のモデルとしての財産になったと思います。完成した写真集を見た時は、大変だった分感動も大きくて。「あ、私こんな表情もするんだ」と、新たな発見もあり。確実に引き出しが増えたと思える経験でした。一冊が出来上がるまで、すごく密で濃厚な時間だった。

 3年ほどたった頃にはぱんちゃん(佐々木美玲)が、4年目には(遠藤)さくらちゃんもノンノモデルに加入し、頼もしい気持ちに。坂道グループからノンノモデルになるというのは、西野さんが切り開いてくださった道。そんな土台を作ってくださった西野さんはやはり偉大だし、続く私たちもしっかり活躍しなければという思いは常にありました。そうしてたくさんの撮影を経験するうちに、ようやくモデルとしてのお仕事にも慣れてきて、少しずつ『non‐no』が自分の居場所となっていきました。

 ちょうどその頃、「欅坂46」がグループとして不安定な時期に差しかかっていて。当時、私も含めみんな子どもだったのだと思います。たくさん話し合いもしたけれど、なかなかうまくいかなくて、みんなが悩んでいた時期。そして「欅坂46」の活動が3年たった頃、二期生募集のオーディションが開催されることに。“二期生が新しい風を吹かせてくれるんじゃないか”という期待は大きかったのですが、同時に、この不安定な時期に仲間として迎えることを申し訳なく思う気持ちもありました。

 その後、コロナ禍に入りリモート収録が増えるなど、メンバーと直接会う機会も減ってきて。そんななか、グループ改名の話が持ち上がったんです。「欅坂46」の名前がなくなるのは寂しかった。けれど、当時の停滞した空気を一掃するには、改名くらいの大きな改革がないと変わらないから。「櫻坂46」へ改名後は、“後輩たちが輝ける場所を作りたい。せっかく入ってくれた二期生たちのために、土台をしっかり作らなきゃ”と、とても前向きな気持ちを持てるようになりました。

 2021年には『non‐no』が50周年を迎え、この歴史ある雑誌の大事な節目にノンノモデルでいられることを誇らしく感じました。そして念願だった連載もスタート! それまでは受け身での撮影が多かったのですが、連載担当編集さんとライターさんと、“どんなページにしようか?”と、内容や見せ方について話し合ったんです。ファンの方に自然体の私を知っていただける機会だと思い、毎月テーマを決めながらも、日常のことや感じたことを語る形式にしていただきました。

 『non‐no』50周年を迎えたのち、優子さんに西野さんと、立て続けに先輩方が卒業されて。寂しく不安な気持ちはありながらも、『non‐no』への責任感をより強く感じるなど、身が引き締まる思いも。とはいうものの、加入してくる新たなモデルさんたちは、キャリアが長かったり魅力のある頼もしい子たちばかりなので、安心感もありました。

 以前『non‐no』内でも語らせていただいたのですが、「櫻坂46」の卒業について考えるようになったのは、 “もう安心して二期生に任せられる”と思えたタイミングでのこと。改名を機に、グループはとてもいい方向に変化を遂げましたし、グループとして成長を続け、下の子たちが活躍するためにも、上が抜けて循環させなければならない、という思いがあり。グループに対しての心配はもうまったくなくて。“やりきった!”というすがすがしい気持ちで、2022年に、7年間活動を続けた「櫻坂46」を卒業しました。

いただいた愛への感謝を胸に新しい道への挑戦を続けたい

 『non‐no』ではやりたかったことをすべて叶えていただきました。カバーに名前立て企画に連載。常にアットホームな現場で笑いが絶えず。そんな大好きな場所でもある『non‐no』で“ノンノモデルとして最年長になるまでは頑張りたい”という気持ちはずっとあって。先輩方の卒業を見送った今、その目標を達成できたことをうれしく思っています。

 卒業が決まってからは撮影のたび、寂しくなって。でも実は卒業する実感がまだまったくないの(笑)。今日の撮影もいつもの素敵なスタッフさんたちと一緒に、普段と同じように過ごして。本当にたくさんの愛をいただいたなぁ。『non‐no』には愛がある方しかいないんです。歴代の編集長をはじめ、他部署に異動された写真集の担当編集watanaberisa1stさん(写真集公式Xアカウント名より)、連載を担当してくださった編集さんたち、いつも現場を温かなムードで満たしてくださるスタッフさん方。本当にありがとうございました。そしてこれまで支えてきてくれた家族、友人、事務所スタッフの皆さま、ファンの方々にも感謝しかありません。ファンの方々の応援がなければ、ここまで歩んでこられなかった。『non‐no』でたくさんのカバーや連載をやらせていただけたのも、皆さんの声のおかげ。グループ卒業後も変わらず応援してくださり、イベントにも足を運んでくださって。たくさんの貴重な経験を一緒にしてくださったことに、感謝の気持ちでいっぱいです。

 グループ卒業後自分の時間をたくさん持てたことで、生活と気持ちに大きな変化がありました。してみたかったことをして、行ってみたかった場所へ行き、海外への一人旅も経験。いろいろな景色を見るたび、自分の中での世界もどんどん広がって。現地で働く日本人の方を見ていると、“本気でやろうと思えば、何にでもなれるんだ”と勇気をいただいたりも。私、“やりたい”と思うことは、ぜんぶ経験したくて。やりたいことがいっぱいあるから、20代のうちに新しい扉を開きたかったんです。また0からスタートを切ることになるけれど、次は何を経験できるのだろう? どんな挑戦が待っているのかな? そう想像するとワクワクします。もっとたくさんのことを学びたいし、経験を積みたい。そしてそれらを経験した後は、どんなふうに私は変化するんだろう? また世界が変わって見えるのかもしれない。それが知りたいから、新たな挑戦も怖くないし、楽しみしかないんです。もし今、何かに悩んでいたり、迷って一歩踏み出せない状況にいるのならば、勇気を出して進んでみてほしい。私のアイドルやモデルとしての経験はいつだって「大丈夫かな?」で始まることばかりだったけれど、いつだってなんとかなってきた。だからみんなも、この先何があろうと、きっと大丈夫!

渡邉理佐メッセージ7−2

卒業スペシャル特集は
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non-no3月号

2025年3月号掲載

Staff Credit

モデル/渡邉理佐 撮影/柴田フミコ ヘア&メイク/中山友恵 スタイリスト/ミク 構成・原文/道端舞子 web構成/轟木愛美 web編成/ビーワークス

渡邉理佐卒業special

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