【Juice=Juice】植村あかり卒業記念WEB短期連載第一回 アイドル、そしてグループとしての核が作られた武道館までの激動の日々

2024.05.24

6月14日に日本武道館にて開催される『Juice=Juice Concert Tour 2024 1=LINE 植村あかり卒業スペシャル』をもってJuice=Juiceおよびハロー!プロジェクトを卒業する植村さんに、non-no webがインタビュー。研修生時代からリーダーになるまでのアイドル人生を4回にわたって振り返ります。第一回目はグループの大きな転機となった初武道館公演までの濃密すぎる思い出話をお届け。

大人っぽいクールキャラを演じていたデビュー初期

花を手にした植村あかりのアップカット

――最近ではすっかりリーダーの印象が定着している植村さんですが、オリジナルメンバーでは末っ子だったんですよね。

そうなんです。今でもみんなに助けてもらっているのですが、末っ子時代は本当に周りに迷惑をかけては、助けられていました。メジャーデビューする前、℃-uteさんの座間(神奈川)でのコンサートでJuice=Juiceがオープニングアクトを務めさせていただいたことがあるんですけど、そこで遅刻してしまうというありえない大事件を起こしました。当時は関西から通っていたんでが、電車の乗り継ぎを失敗して迷子になってしまって。しまいには携帯の充電も切れちゃうという……。ショックすぎて記憶がちょっと曖昧なんですけど、マネージャーさんの名刺を頼りになんとか会場にたどり着いて、大泣きしました。最初からこんな話になってしまってどうしましょう(笑)。

――大丈夫です(笑)。では、ここから植村さんの成長を振り返りましょう。Juice=Juiceはハロー!プロジェクトの研修生内新ユニットとして2013年に結成されましたが、メンバーとして名前が呼ばれた時の記憶は残っていますか?

ちょうどその時は靭帯を損傷していたんですよね。自分の名前が呼ばれた時は、聞こえているけど、その状況を把握するところまでは全然追いついてない感じでした。もともと関西で研修生としてレッスンなどは受けていたのですが、ハロプロ研修生に加入することになって東京に来るようになったのが2012年からだったので、まさか自分が選ばれるとは思っていなくて。

――関西と東京でのレッスンに違いはありましたか?

違いましたね。関西では週に一回レッスンを受けていたんですけど、ほぼ毎回と言っていいほど関西支部の社長さんも来てくださって、すごくアットホームな雰囲気でした。逆に東京は(宮本)佳林みたいにしっかりと経験を積んでいたり、実力が高い子たちが多かったので、自分も早くみんなと同じレベルになれるように頑張っていかないといけないな、と思っていました。

――発表された時の様子はYouTubeなどにも残っていますよね。

はい。発表は当時のマネージャーさんが代理でつんく♂さんからの手紙を読むという方式だったんですけど、後から映像を見返したらメンバーの名前を呼ぶ時にそのマネージャーさんの声がちょっと震えていることに気づいたんです。普段はすごくキビキビとしていて、礼儀や立ち振る舞い含め、とにかくいろんなことを厳しく教えてくれる方だったので、そのマネージャーさんがそんな状態になるなんて、あの時にどれだけのプレッシャーを感じていたんだろう……って後になってから考えました。

――選ばれたメンバーは経歴や年齢、出身地などがバラバラでしたが、結成当初はどんな雰囲気だったのでしょうか?

当時最年少だったこともあるんですけど、年齢や経歴が上のメンバーが同期になるということが不思議でしたし、最初は慣れなかったですね。と言いつつ、私は結構早めの段階で敬語は抜けたんですけど(笑)。

――初期の植村さんは “最年少だけど大人っぽいルックス”を評価されているイメージがありますが、本来のマイペースなキャラクターとは真逆ですよね?

そうなんです。初期のJuice=Juiceは、ちょっと背伸びしている女性というイメージのコンセプトがあったので、会社の人から「(植村は)あまりしゃべらないで」と言われて、“クールキャラ”を演じていました。もししゃべっていたら全然クールには見られていなかったと思うので、作戦としては成功していたと思います(笑)。衣装でもパンツスタイルが多く、黒のロングヘアだったので、見た目の印象も大きいかもしれません。私自身は昔からずっと変わっていなくてクールとは真逆の性格ですし、おしゃべりも大好きなんですけどね(笑)。

――現在はメンバーカラー制ですが、初期は担当フルーツ設定がありましたよね。植村さんはメロン担当でした。

そうです! 私はメロンが苦手なのにメロン担当だったんです(笑)。グループ名にかけてフルーツジュースで乾杯するような機会も結構あったんですけど、そういう時はメロンが好きな他のメンバーとこっそり交換してもらったりしていました(笑)。少し前にフルーツ担当を決めたつんく♂さんご本人に聞く機会があったんですけど、「植村の“植”から田んぼが浮かんできて、そこから豊かなイメージが湧いてきた」というエピソードを聞くことができて、うれしかったです。いまだに食べられないけど、愛着はあります!

念願のCDデビュー、初めてのツアーで感じた課題

花を手にした植村あかりさんの全身カット

――エピソードトークで盛り上がってしまいましたが、歴史に戻りましょう。インディーズデビューシングル『私が言う前に抱きしめなきゃね』でのエピソードを教えてください。

不完全燃焼な状態でレコーディングを終えたことを覚えています。ディレクターさんもすごく熱心に指導してくださって、その気持ちにも応えたかったのですが本当に難しい楽曲で。いまだにJuice=Juiceの楽曲で何が一番難しいかと聞かれたら真っ先にあげる、私にとっては常に課題の曲です。リズムもそうですし、ハマったなという感覚を掴むことが本当に難しくて。でも、そんな楽曲を最初にいただけたことがすごくいい経験になったと思います。楽曲への反響も大きくて、Juice=Juiceのファンは音楽好きな人が多いイメージなんですけど、いまだに好きな曲としてあげていただくことが多いんですよ。

――当時はコンサート会場でメンバーがCDを手渡しで販売したりもしていましたよね。ファンの皆さんとのエピソードで印象に残っていることはありますか?

懐かしい! その頃は昔ながらの現場の雰囲気みたいなものが残っていて、ファンの方も推しの名前やメンバーカラーのTシャツを着ている人が多かったですよね。「鞘師(里保)さん推しなんですか? 私も一緒です!」みたいな感じから入ってよくお話しをしてましたね。その頃にファンの方と近い距離でお話しできたことは、すごく自分にとって貴重な出来事だったと思います。私は14歳だったこともあり、抜けまくりのダメダメな対応しかできていなかったと思うんですけど、皆さんがすごく優しくて。昔からずっと応援してくださるファンの方はすごく記憶に刻まれています。

――ライブでのエピソードはありますか?

インディーズ時代のライブは本当に常に目が泳いでいるような状態でした。クール担当なのに(笑)。だから自分のTシャツを着てくれている人やペンライトを振ってくれている人を見つけるたびにうれしかったし、もっと言えばそれだけが頼りというぐらいにパワーをもらっていました。さっきもお話ししましたが、ファンの方の優しさがすごくて、ライブでもJuice=Juiceならではの温かい雰囲気があったと思います。

――続いてインディーズシングルと同年に出した『ロマンスの途中/私が言う前に抱きしめなきゃね(MEMORIAL EDIT)/五月雨美女がさ乱れる(MEMORIAL EDIT)』でメジャーデューとなりました。

トリプルA面シングルというのがその時代のハロー!プロジェクトでは珍しかった気がします。全部の楽曲が強いですよね。でも私はその時期に本当に自分に自信が持てなくて。他の4人のメンバーは歌やMC、キャラクター性など魅力に溢れているのに、自分には最年少メンバーであること以外に何もないなって。先生たちからも「植村が頑張ったら全体が底上げされると思うよ」という言葉をいただいて、気持ち的には悔しいというよりもポジティブな状態だったんですけど、とにかく目の前にあることをこなしていくだけで必死の日々でした。そんな状態だったので歌割りが欲しい、とかそういうレベルにも達していなかったと思います。

――それから1年後には初の単独ライブツアーがスタートとなります。約10か月の長期間開催となりましたが、思い出はありましたか?

5人グループだったので小回りがききやすかったりしたのも大きいと思うのですが、とにかくいろんなところに行かせていただきました。お客さんが全然入らない時もありましたし、順風満帆というよりは試練の日々でしたが。私は歌割りが少なかったので体力的な面では大丈夫だったんですけど、パートが多いメンバーは本当に大変だったと思います。そして初ツアーを通じて分かったのが、Juice=JuiceはMCがとってもヘタだということ(笑)。それもあって、徐々にパフォーマンスがメインのライブという方向性に移行していったのかなと思います。

――単独のライブということで事前の準備も大変だったのではないでしょうか?

はい、なかなか壮絶でした(笑)。先生たちの熱量もすごくて、ライブ会場に近い状態を再現するために暖房をつけた部屋で練習をしたり、普通だったら2回のリハだけど追加で3回目をやったり。とにかくスパルタだったんですけど、まずは練習をもっとやりこめるような体力がないとダメだという話になって、そこから頑張りましたね。ただ息が上がっちゃうとか歌がブレるとか、実際に経験しないと分からないことがたくさんあって、本番で学ぶことも多かったです。一日2公演は当たり前だったし、ハロー!プロジェクトのコンサートも並行してやっていた時期もあって、今思うとすごいスケジュールでしたね。でもつらいって思ったことは一度もなくて。なんか無敵モードだったんですよ。どんな場所でも寝られたらいい、みたいな。それよりもこれを覚えないと、あれを覚えないとという焦りの気持ちが常に一番にありましたね。

――他のメンバーも植村さんと同じような感じだったのでしょうか?

そうですね。つらいとか聞いたことはないです。本当にみんなたくましいですよね(笑)。それぞれが黙々と頑張って限界がきた時に話し合いする、みたいなことが多かったです。新人グループで全員が同期なので、最初の頃は自分たちで率先して反省会をするみたいなことができていなかったんですけど、そのぶん先生たちがビシバシいろんなことを指摘してくださって。周りから見たら「Juice=Juiceにだけ先生たちのあたりが強くない?」と思うこともあったかもしれませんが、それぐらいグループがまとまっていなかったんだろうなって思います。でもそうやって指摘をいただいたおかげで、自分たちでも言いたいことをどんどん言い合うことができるようになっていきました。

徐々に自信をつけていって歌唱に磨きをかけた2015年

髪につけた長いリボンを手にポーズをとる植村あかり

――そして2015年にリリースした『Wonderful World/Ça va ? Ça va ?』ではオリコン週間シングルランキングで1位を獲得しました。大きな自信につながった出来事なのではないでしょうか。

はい。メジャーデビューシングルで第55回日本レコード大賞の新人賞を受賞させていただいたことで1位に対しての思いの強さみたいなものがみんなにあったので、また別の形で1位を獲ることができてすごくうれしかったです。

――Juice=Juiceが歌唱力の高いグループとして世間に認知され出したのがこの頃ぐらいからだと思うのですが、何かきっかけはあったのでしょうか?

練習や現場で得たものももちろん大きいと思うのですが、菅井(秀憲)先生のボイストレーニングにメンバー全員が自主的に通い出したことも大きな転機でした。最初に佳林が通い出して、メンバーも次々に通うようになったんです。でも正直にお話しすると、私は自主的にと言うより、みんなが通い出したから置いていかれないように焦ってついていったんですよね(笑)。菅井先生のレッスンは貧血になりそうなぐらいハードだったので、毎回100円のお菓子コーナーに立ち寄ってご褒美のおやつをひとつ買って、気持ちを盛り上げてから向かっていました。菅井先生が特集されたテレビ番組で、私がレッスンを受けている様子を取り上げていただいたことがあるんですけど、その時に「あなたを選んだのはもっと成長してほしいから」と言っていただいて。その言葉が自分の中にすごく残っていますし、テレビって残るものなので、素敵な経験をさせていただいたなと思います。菅井先生のレッスンに行くと、疲れ果てて次のレッスンに行きたくないと思いながらトボトボ帰る時もあれば、楽しい時は帰り道に鼻歌を歌いながら帰るみたいな時もあるんですよ。一番しんどかったのは菅井先生だと思うんですけど。後から実際に言われましたし(笑)。

――歌だけではなく内面の変化ももたらしてくれるようなレッスンだったんですね。

そうなんです。菅井先生は寄り添ってくれる部分といい意味で手放しにしてくれる部分があって、そのバランスが絶妙なんです。当時の私たちは、事務所のスタッフさんとも違う、適度な距離感がある菅井先生という大人の存在にすごく助けられていたと思います。何を相談しても頼もしい意見しか出てこないですし、本当にすごく大きな存在です。

――グループ初のホール単独公演も中野サンプラザ、NHK大阪ホールで開催し、そこから武道館公演を目標に220公演のライブをスタートすることが発表されました。結果225回のライブとなりましたが、そこでのエピソードを時間が許す限り教えてください。

間違いなくJuice=Juiceの核となる部分が作られた特別なライブツアーだったと思います。大変なことも多かったですけど、ファンの皆さんや関わってくださったスタッフの方と一緒に完走することができました。ライブを通して本当にたくさんの愛情をもらって、関わった人全員がレジェンドみたいな、そんな気持ちです。体調を崩したメンバーが欠席する公演もあったりしたんですけど、そんな時にもすごくファンの皆さんが盛り上げてくださって、ブログにも励ましのメッセージを残してくれたり。メンバーもへこたれない精神じゃないですけど、どんなアクシデントがあってもそこに対応していこうというエネルギーに溢れていました。このツアーを乗り越えたからこそ、何があっても大丈夫という強さを手に入れられたんじゃないかと思います。ライブが終わった後にはお客さんと握手する流れだったんですけど、その場ですぐに感想が聞けるというのも醍醐味でした。もちろんライブの後はすごく疲れているはずなんですけど、終わった後に皆さんとお話しすることでパワーをもらっていました。

――ライブツアー中はオンもオフもメンバーと過ごす時間も多かったと思いますが、何かエピソードはありますか? 例えばですが喧嘩をした、など。

Juice=Juiceはさっぱりとした性格の人が多いのでなかなか事件は起きないんですけど、みんな食べることが大好きなので、それきっかけで時々もめたりはしました(笑)。基本的に全員仲がいいんですけど、それぞれが自由で一人行動も全然するような関係性だったので、みんなストレスなく過ごせていたんじゃないかと思います。私は甘えられるのは苦手だけど甘えるのは好きなので、メンバーやスタッフの人によくくっついていました。

――同年にはワールドツアーもありましたが、その話も少しお聞きしたいです。

パスポートにスタンプが増えていくたびにうれしい気持ちになりました。最初は海外にも自分たちのファンがいるということが信じられなかったんですけど、皆さんの熱量が本当にすごくて感激でした。コールの仕方も日本と全然違って、海外のファンの皆さんはとにかく一緒に歌ってくれるんですよ。バラードでも歌ってくれるのでそれがすごく新鮮で、エネルギーをもらいましたね。衣装もすごく可愛いものを用意していただいて、個人的なお気に入りは香港の時のものなんですけど、それでさらに気持ちが盛り上がったことも印象に残っています。メンバーの中では宮崎由加ちゃんがすごくファッション好きな子だったんですけど、近くにいるとその熱量が伝わってきて、自分も衣装やファッションに対して自然と興味がわいてきました。

オリジナルメンバーでの集大成となった初めての武道館公演

ロングリボンをポニーテールにつけた、座っている植村あかり

――そして2016年には連続ドラマ「武道館」にて、主人公のアイドルユニット「NEXT YOU」役を演じることになり、放送期間終了までJuice=Juiceと平行して「NEXT YOU」名義でライブやイベントなどの活動を行っていましたよね。

はい。オーディションの時に台本を覚える必要は一切ないと言われていたんですけど、会場で「それぞれのキャラクターのキャッチフレーズを言ってみて」と言われた時に誰も言えなかったことが印象に残っています(笑)。今思えば、それぐらいは最低限覚えて行きなさいよ! という話なんですけど(笑)。最初に全員でずっこけてしまったので、取り戻すためにそこからはみんなですごく話し合ったりして、協力しながら取り組むことができました。衣装もマイクも普段とはまた違う感じで新鮮でしたし、久しぶりのつんく♂さん楽曲だったので、それもうれしかったです。アイドルをしながらアイドルを演じるってなかなかできない経験ですよね。自分たち的にはドラマと現実世界はまったく別のものとして、気持ちを入れ替えて演じていたんですけど、ファンの方たちも楽曲によってコールの仕方を変えてくださって、私たち以上に、本当にプロでした!

――そしてJuice=Juiceとしては初のホールツアーを締めくくる初の日本武道館単独公演がありました。

本当にすごく大きな出来事でした。ツアーを経て結構自信もついていたので、大きな舞台に立つなら限界に挑戦しないと! と気合い十分でのぞみました。なんなら欲が出た状態だったので、ここからさらに上を目指したいという気持ちもありましたね。それだけ高まっていたので、細かいことは気にせず勢いで行くぞ、というような感覚でした。あとは、人って自分のキャパを超えて感動すると笑いしか出てこなくなるんだということも初めて知りましたね(笑)。一曲目が『選ばれし私達』で、本来ならカッコよくキメないといけない楽曲ですし、なんなら覇王感を出していかないとっていう感じだったんですけど、メンバーとアイコンタクトしたら自然と笑顔になっちゃうし、うれしさが全然抑えきれなくて。でもそんな気持ちになれたのは本当にファンの皆さんのおかげですし、ツアーを経てずっと客席の表情を見てきたので、そこから伝わってくるものがすごくありました。泣いてる方もいましたけど、皆さんの表情もツアーの時よりさらにキラキラしていて。まるで「よく頑張ったね」と言われているみたいで、すごく胸がいっぱいになったことを覚えています。もし歳を重ねてこの時のオリジナルメンバー全員で集まるような機会があったら、この武道館公演の映像をみんなで見て盛り上がりたいです。

――ツアーと武道館公演を終えて個人的に成長したと思うことはありましたか?

ツアーでは『スクランブル』という楽曲で初めてフェイクを担当したんですけど、歌割りをもらった時は嘘かと思ったぐらいびっくりしました。歌が上手なメンバーがたくさんいる中で任せてもらえたことはすごく光栄だったんですけど、同時に責任感を感じ、プレッシャーもすごくて。とにかく練習しました。初めて披露した時はメンバーが自分のことのようにすごく喜んでくれて、盛り上げてくれたのを覚えています。

――その他印象に残っていることはありますか?

武道館公演では舞台演出などもすごく凝って作っていただいて、自分たちだけではなくいろいろな人の力でより大きな舞台に見せることができたんじゃないかと思います。みんなで一丸となって目標に向かって突き進んできたからこそ、叶えられたことが本当に大きくて、それまでは無言実行したいタイプだったんですけど、有言実行だからこそ味わえたと感じる特別な体験でした。ずっと切磋琢磨して頑張ってきたオリジナルメンバー5人の集大成として、形に残せたこともうれしいです。

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Staff Credit

撮影/山越翔太郎 ヘア&メイク/𠮷﨑沙世子(io) スタイリスト/佐藤朱香 取材・原文/武内亜紗 

Juice=Juice初武道館の模様はこちらをチェック!

Profile

植村あかりプロフィール写真

植村あかり

アイドル

●うえむら あかり 1998年12月30日生まれ、大阪府出身。ハロプロ研修生を経て、2013年2月に、ハロプロ研修生内新ユニットメンバーとして選ばれる。4月にはJuice=Juiceとしてインディーズデビュー、9月に『ロマンスの途中/私が言う前に抱きしめなきゃね(MEMORIAL EDIT)/五月雨美女がさ乱れる(MEMORIAL EDIT)』でメジャーデビュー。現在は3代目リーダーを務める。愛称はあーりー、メンバーカラーはメロン。マイペースな末っ子キャラクターとして知られていたが、今ではすっかり後輩から頼りにされる長女に。伸びやかな歌声と抜群のルックスでステージでは圧倒的な存在感を放つ。

Juice=JuiceのInformation

Juice=Juice『トウキョウ・ブラー/ナイモノラブ/おあいこ』通常盤Aのジャケ写

トウキョウ・ブラー/ナイモノラブ/おあいこ

18thトリプルA面シングルとなる『トウキョウ・ブラー/ナイモノラブ/おあいこ』が好評発売中。植村あかりにとってはラストシングルとなる。『おあいこ』では、Juice=Juiceを生み出し初期プロデューサーを務めたつんく♂が作詞・作曲を担当した。

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