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インタビュー
2024.11.15
12月6日に横浜アリーナで開催される『モーニング娘。’24 コンサートツアー秋 WE CAN DANCE !〜Blå Eld〜石田亜佑美 FINAL』をもって、モーニング娘。’24およびハロー!プロジェクトを卒業する石田亜佑美さんに、non-no webがインタビュー。
“繋ぐ”というキーワードを立て、これまでの石田さんのモーニング娘。人生を紐解く卒業連載の第二回目は、ダンスマシーンの異名を持つ石田さんのダンス人生を振り返ります。さまざまな個性を持つ後輩メンバーや、グループの垣根を超えたハロプロダンス部との出会い、フェスやTV番組などハロプロの外側での新しい経験……。試行錯誤の日々を経て、常にダンスと実直に向き合ってきた石田さんだからこその視点、そのときどきの率直な思いについて伺いました。
ダンス人生に大きな変化をもたらした先輩との出会い
――モーニング娘。になる前にチアダンスなどをしていた経験とハロー!プロジェクトのダンスの違いで困ったりすることはありましたか?
自分のベースにあるのがチアダンスなので、キレのよさが持ち味だったんですけど、逆に言えばキレしかないという側面もあって。なので、モーニング娘。になってからは“表現”という部分で、長年苦しまされることになりました。ダンスのキレって褒め言葉でもあると思うんですけど、だんだんと自分の中で「私ってキレしかないじゃん……」みたいな感じになっていってしまい。最初は特技だとアピールしていたのに、人から言われるたびに「またキレって言われてる……」みたいな焦りを感じたりもしていましたね(笑)。
――モーニング娘。に入って、同じダンスを特技とする鞘師里保さんとの出会いは大きかったですか?
大きかったです。加入前は自分のダンスしか見ていなかったので、すごく自信があったんです。ダンスは誰にも負けないって気持ちがあったので、加入前に鞘師さんの映像を見たりしても「うん、やっぱり私のほうがうまい!」とか普通に思っていたりして(笑)。思い込みって本当にすごいですよね……。でも、いざ加入して一緒に踊ってみると「……なんか違う?」と気付くわけです。どっちがうまい、ヘタとかそういう問題ではなくて、鞘師さんはすでに何かを背負って踊っている感じがあって。それがその当時の自分には出せない魅力でしたし、すごくカッコいいなと思いました。同時にそこから何回も“悔しい”という思いを経験することになるんですけど。
――具体的なエピソードがあればぜひ教えてください。
『Help me!!』のサビでフェニックスの形を作るフォーメーションがあるんですけど、鞘師さんがセンターで、私はその左斜め後ろのポジションでした。振り付け自体は両手を広げてリズムを取っているシンプルなものなんですけど、厚みというか、何かを担っているオーラみたいなものを鞘師さんからすごく感じたことを今でもよく覚えています。そのオーラって覚悟のある人にしか出せないものだと思うし、鞘師さんはダンスだけではなく歌も担っていたので、その姿を見て素直に「かなわない」って思いました。
――石田さんは鞘師さんとペアを組んでダンスを踊る機会も多かった印象ですが、そのことについても教えてください。
鞘師さんとペアで踊れることはすごくうれしくて。でも時差で「うれしいと思ってしまうのは背中を追いかけている証拠じゃん。それって悔しいことなのでは……⁉︎」みたいな気持ちもありました(笑)。昔の私はうれしいという気持ちを素直に出したり、人を褒めたりすることができない子だったので、正直にうれしいという気持ちを表現することもなく……。鞘師さんがいる間は、常に鞘師さんの斜め後ろに自分がいて、時々隣に立ててうれしい、みたいな関係性でした。背中を追いかけている状況に悔しいと思うことはあったけど、同時にそれがすごく自分を高めてくれることだというのも分かっていたので、そんな自分も好きでしたし。だから鞘師さんが卒業を決めた時に「これから何を目指して踊ればいいんだろう?」となってしまいました。そもそも自分のダンスをもっと貫くべきだったのかもしれないですけど、その時の私には、“目指す存在”が必要だったんです。
――鞘師さんが卒業してから感じた変化について教えてください。
目標とする存在がいなくなってしまうことに対して、不安やプレッシャーでいっぱいでした。そして鞘師さんの卒業前後は鞘師さんと自分を比べすぎて、どんどん自信をなくしている時期でもありました。自分のダンスが一番好きじゃないと思っていた時期だったんです。シンプルに正解が分からなくて。それこそ鞘師さんと一緒に踊っていた自分は輝けていたかもしれないけど、一人でも同じように輝けるのか、と考えたりもしていましたね。つらい時期ではありましたが、それがあって今の自分があるのかな、とも思います。
――鞘師さんが卒業した後のスランプはどうやって乗り越えていったのでしょうか?
活動をしていく中で、自分のダンスにはもっと“重み”や“強弱”みたいなものが必要だと自覚はしていたんですけど、なかなか解決の糸口が見つからなくて。きっかけの一つになったのは、鞘師さんの卒業後に『冷たい風と片思い』のダンスパートを引き継ぐことになった時でした。振り付けのYOSHIKO先生から「あれは鞘師の振り付けだから、石田のダンスに変えていいんだよ」と言っていただいて。そういうところからマネじゃなくて、自分に合う角度だったりステップを見つけていこう! というマインドに徐々になっていきましたね。でもずっと試行錯誤はしていて、自分の中でやっと乗り越えたかもしれないと感じたのはコロナが落ち着いてきたくらいの頃かなと思います。結構最近なんですよ。
同期や後輩メンバーとのダンスを通したコミュニケーションの変化
――同期の10期メンバーとの思い出も振り返って教えてください。石田さんと研修生経験がある工藤(遥)さんがダンスなどを中心に同期を引っ張る存在であった印象がありますが、当時のエピソードで印象に残っていることはありますか?
10期は喧嘩もすごくしましたけど(笑)、それぞれの得意分野があったので、最初から自然に助け合いができていました。はるなん(飯窪春菜)からは社会的なマナーを教わって、どぅー(工藤遥)からはハロプロのことを教わって、私はダンスを教えて、まーちゃん(佐藤優樹)はなんだろう(笑)。起爆剤的な存在というか……いるだけでいいんです、彼女の場合は。とにかく10期はなんかバランスが取れていて、最初からのびのびとやらせてもらっていましたね。でもそういう空気感だったのは、確実に9期さんのおかげなんです。周りの大人も、9期さんで子どもメンバーに対しての慣れみたいなものができたみたいで。だから10期は本当にラッキーだったなと思います。そして同期だとまーどぅー(工藤さん、佐藤さんのコンビ名称)のやんちゃ具合が飛び抜けていたので、私個人では怒られることはほとんどなかったんですよ(笑)。身近にお手本となる存在もいて、空気感もよかったし、恵まれていましたね。
――ダンスペアをよく組んでいた鞘師さんの卒業後、その相手が変わっていったことについてもお話を聞かせてください。
代表的なペアダンスがある『君の代わりは居やしない』では、鞘師さんの次の相棒がどぅーになったのはうれしかったです。心を許せる相手だったのでなんの心配もなかったし、なんなら手の繋ぎ方などは鞘師さんよりスムーズにできたぐらいかも。同期と一緒に踊れることがこんなにも心強いんだと思いました。そして次がちぃちゃん(森戸知沙希)とだったんですが、ちぃちゃんは自分をそんなに主張するタイプじゃないので、この曲ではバチバチに強い感じでいきたい自分とどうやったらバランスよく見えるのかということを自分なりにすごく考えましたね。わりと長い期間一緒に踊ることができたので、徐々に作り上げて形にしていった気がします。
――森戸さんは自身の卒業インタビューの際、過去に石田さんからのアドバイスを素直に受け取れなくて申し訳なく思っているとお話しをされていました。
読みました。ちぃちゃんの卒コンでもそのことについて話したんですけど、私自身もあの頃のことはすごく反省していて。当時の私は人に寄り添うということが全然できていなかったので、もっと他のやり方があったはずなのに……と後からすごく思いました。でも、ちぃとはそんな時期を経て、今でもすごくいい関係性を築けています。
そして、その後は北川(莉央)になったのですが、北川はすごくダンスに思いが込められる子だと思っていて。元はダンスが苦手だったからこそ、一回言われたことをしっかりと身につけようとする意識がすごく高いんですよね。たとえば「指先までもっと意識を向けてほしい」と伝えたら、すぐ取り入れてくれたり。私が相手を決めたわけではないのですが、ここのパートに関しては、思いが強い子と一緒に踊りたいと思うので、北川になってうれしかったです。北川と一緒に踊ることになった時と、ちょうど卒業を決意した時期が重なっていたので、ここのパートは今後北川に託していくことになるんだな、と感慨深くなりました。北川には期待しているからこそ、過去の映像なんかも見せつつ、カメラを見るタイミングや手元を撮られた時の見え方など、とにかく細かく教えたつもりです。北川の相手が次誰になるのかも今からすごく楽しみなんですよ。
――ダンスの指導などを通して後輩との繋がりについてのエピソードもお聞きしたいです。
最初の後輩は小田(さくら)なのですが、小田は研修生の経験があって、誰にも頼ることなく先輩についてくるようなガッツがあるタイプだったので、初めての後輩っぽい存在というと12期のイメージです。でもその頃は自分のことに必死すぎて、全然先輩らしいことをしてあげられませんでした。あまりに余裕がなさすぎて、一生懸命にやっている12期に対しても大人気なく「負けたくない!」と思っていたりもしましたし、本当にすごく申し訳ないことをしていましたね。そんなダメな先輩だったのに、今すごく仲良くしてくれる12期にはありがとうっていう気持ちしかないです。
――まったく同じことを以前に譜久村聖さんが卒業インタビューでお話しされていました(笑)。
9、10期メンバーはきっと皆同じ気持ちだと思います。だから今、12期がのびのびと活動してくれていることに対しても感謝の気持ちしかないですね。それぞれに武器もしっかりとあって、意見もあって、本当に全員カッコいいです。そこを経ての13期は一緒に練習した記憶はあるものの、あまりに手がかからなすぎてとくに教えたりすることはなかったんですよね。14期のちぃちゃんは加入したタイミングのツアーがすごい曲数をこなす内容だったので、振り付けを伝えるという意味では教えたことはありますけど、ダンスを教えるという感覚ではなくて。なので、自分としては15期のタイミングでやっとダンスを教える、というスタンスで後輩を迎え入れられたような気がします。15期との出会いは自分にとっても本当に新しくて、まさか自分がこんなに後輩を可愛がることになるとは……という体験でした(笑)。これまでも新メンバーには、ツアーのリハーサルに入る前に事前レッスンがあって、よくやる楽曲の振り付けはそこで先生が入って入れたりしていたんですけど、15期のタイミングからメンバーが教えた方がライブでのそろえ方も一緒に伝えられるし、効率がよい! みたいな話になって。なので、そこから事前レッスンにメンバーも顔を出すようなスタイルに変わっていったんですよ。
――事前レッスンなどに一緒に入って後輩と接することで、気づきなどはありましたか?
北川に関してはジャンプもできないという衝撃のキャラだったので、最初は頭を抱えました。どういう伝え方をしたら理解してもらえるのか、今までとはまったく違う目線で考えるようになったことで、当たり前のことなんですけど、その人にはその人に合った教え方があるということを実感しましたね。褒めたほうがいい子もいるし、褒めるだけだと伝わらない子もいる。相手のタイプを知った上で教えるほうが早く身に付くんだな、ということは15期から学びました。ちなみに北川には鉛筆を使ってジャンプを教えたんですよ。彼女は体がグネグネとしちゃって飛べてないタイプだったので、鉛筆を使いながら折れないように飛ぶイメージを見せてあげて。そうしたら飛べるようになったんですよ!他のメンバーからは体育の先生みたいと言われましたが(笑)。らいりー(櫻井梨央)の時も事前レッスンに参加しました。らいりーは踊っている途中でリズムが分からなくなっちゃうんですよ。表取りと裏取りが混ざってきてしまうみたいで。そしてダンス部での経験があるから、自分のクセができてしまっていて、そこも改善しないといけない。なので、まずは体全体をほぐすところから始めて、歩きながらリズムを取る練習をしたりしましたね。
――今一番若手の、17期メンバーはどうでしたか?
17期に関しては初めて先生抜きで、私が先生になって基礎レッスンをやったことがある期なんです。本当はもっとたくさんやりたかったんですけど、数回だけ入りました。リズムなどはもちろんすごく大切なんですけど、私はたとえ新人であってもステージに上がった瞬間からアイドルでいてほしいので、まずはステージ上での歩き方みたいなところから教えました。あとはガチガチの基礎レッスンを。一緒にやってみて動画を撮って、「ここがずれていると目立つよね」とかそういうことをやったりしました。さすがに私も基礎レッスンを人に教えるのは初めてだったので、やってみてストレッチのバリエーションが少ないことに気付いたり、先生たちの目線みたいなものが分かって、結果自分にとってもいい経験になりましたね。はるさん(井上春華)に関しては、私が簡単だと思うステップも難しいと感じるみたいだったので、どこから始めよう⁉︎ と自分の引き出しをたくさん開ける作業をして向き合いました。モーニング娘。の基本は16ビートなんですけど、まずは8ビートから、みたいな。ダンスに関しては自分が最初からできることが多かったので、逆にできない人の目線が全然分かってなかったんですよね。これは経験しないと分からないことでした。
――ダンスを得意とする後輩メンバーとのお話も聞かせてください。加賀楓さんとはダンス仲間のような感じで一緒にダンス動画などを撮っていたイメージがあります。
鞘師さんが卒業されて一人でダンスをしているような気分の時期もあったんですけど、そんな時に出会えたのがかえでぃー(加賀)でした。ダンスに対して、自分と同じぐらいの熱量をかけてくれるメンバーが入ってきてくれたことがすごくうれしくて。どこかで見つけたカッコいいダンスの動画とかを「これ、カッコよくないですか?」と見せてくれたり、ライブやリハーサルの映像を見て、自分の踊り方に納得がいかない時に参考として見せてもらったり。後輩ではあるんですが、ダンスに関してはすごく尊敬できる存在だったのでたくさん救われていました。かえでぃーがいたことで、モーニング娘。のダンスもフォーメーションだけではなくて、よりダンス色が強くなっていった気がします。
――コロナ禍をきっかけに他アーティストのカバーダンスなどもSNSにアップするようになったりもしましたよね。
“踊ってみた”シリーズですよね。やり始めたのはモーニング娘。を知らない人が、グループのことを知る入り口になったらいいなと思ったのと、ミーハー心からなんですけど、まずは人気の曲を踊ってみるところから始めました。軽い気持ちで始めたんですけど、実際に他の方をマネすることで腰の柔らかさだったり、男性的な力強さとか、首の角度も普段の自分だったらこうするけどこんな感じもありなんだ、などそういう細かいニュアンスの違いを知ることができて、その結果自分のダンスの引き出しがすごく増えることになりました。想像以上の反応もいただけましたし、本当にやってよかったです。
ハロプロダンス部でのグループ外活動、フェスやTVで外の世界にダンスで挑んだ経験
――2013年から始まったハロプロダンス部についてのお話も聞かせてください。
ダンス部が始まった当初は℃-uteさんを始め、先輩方がたくさんいらっしゃいました。それまでのハロー!プロジェクトとは全然違う雰囲気でしたし、ダンス部自体のムードもストイックで、各々が淡々と練習するという感じだった気がします。今思い返してみると、ここでいろんなタイプのダンスが上手な人を近くで見たことも、過去に自分が落ち込むきっかけになった理由の一つでしたね。懐かしいです。先生も普段は関わりがない男性の先生だったりして、振り付けもまったく知らないタイプのものばかりだったので、求められている正解がまったく分からずに焦ることも多かったです。ニュアンスがなかなか掴めなくて。そんな状態から始まったのですが、気付いたらずっとメンバーに選び続けてもらって今に至ります。最初は戸惑いもありましたが、ダンス部があったからこそハロプロのメンバーもどんどんダンスが上達していきましたし、『ハロプロダンス学園』が始まってからさらに皆のダンスレベルがアップした気がします。ダンス部としての魅せ方もどんどん広がっていったことでファンの方たちからの反応もついてきて、それもうれしかったですね。
――『ハロプロダンス学園』はメンバーの和気あいあいとした空気感も魅力ですよね。
グループでやってきた青春とはまた違うタイプの青春が、『ハロプロダンス学園』にはあって。ダンスが好きで集まっているというところにまず信頼があって、好きなことだからこそ妥協を許さないという熱量も一緒ですし。だから失敗したりしてもそれを正直に言い合えたり、もう一回踊りたいというメンバーがいたら誰一人嫌な顔をせずに全力で付き合うし、それが本当に青春そのものでした。パフォーマンスには先輩も後輩も関係ないみたいなことをよく言いますが、まさにそんな感じで。それぞれにリスペクトがすごくあって、その感じが心地いいんです。そして自分のグループとは別に、心の拠り所があるというのもすごく心強かったです。『ハロプロダンス学園』が始まってから、雰囲気が柔らかくなったと言われることも増えた気がします。ダンス部の皆が、私のおもしろさみたいな部分を見つけて広げてくれるので、ハロコンでもちょっかいをかけてくれるメンバーが出てきたりして、それもうれしかったです。
――現在のハロー!プロジェクトでダンスに注目しているメンバーはいますか?
まずはBEYOOOOONDSの平井美葉ちゃんですね。ダンス学園でも一緒だし、私に憧れを抱いてくれている後輩でもあり。美葉ちゃんはダンスに対して考えていることが私とあまりにも似ているんですよ。振り付けを正確に踊りたいと思うところだったり、だけどそれだけだとおもしろみがないからちょっとは羽目を外したい、でもどれぐらいやっていいのか悩む……みたいな。美葉ちゃんを見ていると自分にすごく重なる部分を感じますし、グループの中でダンスをするということに対して大事にしているものが一緒だからこそ、共感するところが多いし応援したくなる存在です。あとは、つばきファクトリーの土居楓奏ちゃんにも注目していますね。シンプルにまず可愛いんですけど、未経験にもかかわらずダンスの吸収がすごく早いところがいいなと思います。目で見たものを表現することや、体の使い方が上手だったりするからだと思うんですけど、目が離せなくて。ハロメンの中でも結構話題になっていますし、これからがすごく楽しみです。
――石田さんの話に戻りますが、石田さんといえばフェスというアウェイの場での特攻隊長的な立ち回りも、注目されることが多いと思います。特に代表的なROCK IN JAPAN FESTIVALでの思い出もお聞きしたいです。
フェスではまず意気込みとして、「自分たちを知っている人は誰一人いない」と思ってステージに向かいます。でも同時に「私たちの音楽は絶対に世界に通用する。そういう曲をつんく♂さんが書いてくださっている!」という自信もちゃんとあって。なので、そうやって自分たちを奮い立たせる気持ちだったり、闘いに行くような熱量を持って挑みにいく場所というイメージです。初めてのロッキンで一曲目になったのは『HOW DO YOU LIKE JAPAN?~日本はどんな感じでっか?~』だったんですけど、私は第一声のパートで。歌い出した瞬間は全然意識していなかったんですが、終わった後すごく手が震えていました(笑)。本番では本当に闘いに行くつもりで気持ちを作っているので、ありったけの武器を持って鎧を身につけて……みたいなテンションだから我に返る瞬間なんて一切ないんですよ。だからこそ終わった後の反動が本当にすごいというか。ちなみに後からライブ映像を見たら自分の顔が思っていた以上にイカつすぎてびっくりしました(笑)。アイドルとしてもうちょっと可愛い顔をしておきたかったとも、正直思いましたね(笑)。
――たとえフェスというアウェイな場所であったとしても、ライブをすることやダンスをするということに対してはプライドや自信もあったのではないでしょうか。
そうですね。ライブ活動をずっとしてきて、ステージでは常に誰かに見られているという意識を持ってやってきたので、そこに対してのおそれみたいなものはなかったです。最近ではチッケム(推しカメラ)みたいな文化が流行ってきて、それこそ表情管理などの言葉もよく耳にするようになりましたが、私たちはその言葉が流行る前からずっと感じてきてやってきたことなので。ビジョンに抜かれるところはもちろん意識しますけど、それ以外にも、すごく後ろで踊っている時にもお客さんと目があったりするんですよ。だからライブって本当に常に見られているなということを意識せざるをえないし、気が抜けなくて。それからほぼノンストップで踊り続けるセットリストで、ステージ上でのスタミナがすごいと周りから褒めていただくことも多くてうれしいんですけど、スタミナってイコール気持ちだと私は思っていて。だから真夏のステージを意識して、暖房をつけた部屋で練習するのも当然だと思っていました。このご時世にめちゃくちゃ根性論ですが(笑)。
――ロッキンの初登場はLAKE STAGEでしたが、翌年さらに大きなGRASS STAGEになったことについてはどうでしたか?
LAKE STAGEの時に入場制限がかかるぐらい反響があったので、翌年も出演できますと言われた時は正直ちょっと期待していました(笑)。もちろんうれしかったです!実際にGRASS STAGEに立ってみたら、これまでに見たことがないぐらい広い世界で感動しましたね。でもステージの大きさが変わったとしても、ステージにかける意気込みは最初からずっと変わらないです。より広いステージになり、炎天下の中でステージの端から端まで動き回ることについて褒めていただくことも多かったんですけど、私たちはむしろ動いて皆さんの近くに行けるのがうれしいんですよ。だからメンバーも進んで端っこに行きたいと言っている子が多いです。暑かったり雨だったり状況が悪いほど、むしろ燃えてくるような感じもありますし(笑)。
――石田さん個人の話に戻すと、ダンスを武器にTVなどのメディアでも活躍されていました。ハロプロ以外のダンサーの方々との共演は、これまで培ってきたダンスを魅せる機会でもあったと思いますが、そのことについてもお話を聞きたいです。
TVだと『TEPPEN』はいろんな方から反響をいただきました。番組の特性上点数をつける仕組みにはなっているのですが、結局のところダンスってうまいヘタだけでは括れない部分だったり、好みもあるなと私は思っていて。だから『TEPPEN』では、自分にしかできないダンスってなんだろう、ということを考えて挑んだんです。考えた結果、私は「この子、楽しそう」「キラキラしてる」って思ってもらえるダンスが踊りたいと思いました。だから自分より格段にスキルが上の人たちに並ぶことになっても、自分が踊る曲では自分がどうやって表現したいのかというとこにフォーカスを当てるように意識するようにしていましたね。私はアイドルとして歌を表現するために踊ってきたので、そこに関してはプライドもあるし、『TEPPEN』では歌わないけどステップでその曲をきちんと表現したいなと思いました。その気持ちがTVを通して伝わったみたいで、実際に「すごく印象に残った」「楽しそうに見えた」というような声をいただくこともできて、すごく光栄でした。メンバーからの反応も結構あって小田からは「石田さんが一番楽しそうでした」と言われました。さすが見ているなって思いましたね(笑)。
――最近では卒業を控えて「だーnce」動画などで、自身のダンスやモーニング娘。魂を繋いでいこうとするようなアクションをされていますが、そのことについても教えてください。
まずはこの企画をやるにあたり過去の映像をたくさん見返すところから始めたんですけど、昔の自分のダンスがヘタくそでびっくりしました(笑)。恥ずかしい! とも思いましたね。あ……でも、このヘタというのは私だけが私に言っていい言葉なんですよ。なぜなら当時の自分は頑張っていたので、そこに対して他の人からは言われたくないんです! ちょっと話がそれちゃいましたけど、過去の自分を見て、今は自分のダンスをちゃんと好きになれる状態まで成長できたこともすごく感じました。だからその今の自分の状態でダンスを残せるのがすごくうれしいです。ちなみに過去の映像を見て一番ショックだったのは『夕暮れは雨上がり』と『The Vision』。この二曲に関しては正直今でも難しいんですけどね。「だーnce」は後輩のための置き土産? とも聞かれますが、きっかけはあくまで自分がやりたくて始めたことなんです。でも実際に動画がアップされだしたタイミングで、未来にこの動画を見てくれる人がいたらそれは絶対うれしいし、ファンの方が懐古して歴史を振り返ったり、楽しんでくれたりするものにもなっているみたいなので、思っていた以上に意味があるものになっているなと感じてさらにうれしくなりました。
――洋服の青山のWEB CMなどでダンスの振り付けも担当されていましたが、振り付けという分野にも今後チャレンジしていくのでしょうか?
振り付けにはずっと苦手意識があります。あまり自分の苦手なこととか嫌な部分を公にするのはどうかなとも思っちゃうんですけど、振り付けに関してはどうしても現状前向きに捉えることができなくて。なぜならこの13年間は“ダンスマシーン”として、いただいた振り付けをいかにカッコよく踊れるかという部分にのみ信念を燃やしてきたので、それと振り付けはまったく別のことなんですよね、私の中では。かえでぃーみたいにそこから自分の才能を見出したりするメンバーもいますけど、私はまだそんな感じにはなれなさそうです。機会をいただいた時はもちろん全力で頑張りますけど、やっぱりまだどこかで納得がいかない部分が出てきちゃうんですよね。後から「もっとできたかな」とか考えてしまいます。
でも、『このまま!』という楽曲に関しては、自分で振り付けしてみたかったな、という思いを抱いたことがありました。この曲をいただいたタイミングは、ちぃが在籍している時だったんですけど、すごくちぃに似合いそうな振り付けが浮かんできたんです。その他にも曲中に振り付けにしやすい歌詞がちりばめられていたので、すごくイメージが湧いてきて。でもその思いを声に出すのが遅かったので、実現はできませんでした。今お話ししていて、もしかして歌詞があるものにだったら今後も振り付けたいと思うことが出てくるかもしれないとは思いました。
グループ卒業後の石田亜佑美のダンスについて
――石田さんが思う歴代モーニング娘。の楽曲でダンスが難しいと思う曲を3つを教えてください。
まずは、先ほども話に出てきましたが『The Vision』。当時はモーニング娘。がコンテンポラリージャズダンスという新しいジャンルに手を伸ばし始めていた時期だったんですが、バレエでもなくジャズという未知の世界に、なかなかメンバー全員の気持ちが追いついていかなくて。私も自分の中で正解が分からないまま踊ってしまったので、それで余計に難しく感じていました。今の自分で踊ってみても、追求しようとすると魅せ方がすごく難しい曲だなと改めて感じましたね。
その次は『The 摩天楼 ショー』です。正直私はすごく得意な曲で、めっちゃ好きなんです。ダンスの基礎をやっている人ならすごく踊りやすい曲だと思います。私は活動をしていく中で、自分がよりカッコよく踊るために研究して磨いてきたつもりだけど、「どうやったらカッコよく踊れますか?」と人から聞かれた時に教えるのが結構難しくて。ダンスの基礎が身についていないと難しい曲だからこそ、未経験でモーニング娘。になったりした人にとってはすごく難しい楽曲になりうるのかなと思って選びました。振り数自体は少ないから一見簡単そうに見えるんですけど、そう思って踊っちゃうともったいないよ! と思う曲でもあります。そしてこの曲は悩んで向き合った人が絶対成長できる楽曲でもあると思います。
最後は最新曲の『勇敢なダンス』にします。最新アルバムに収録されている曲なんですけど、モーニング娘。にすごくゆかりがあるYOSHIKO先生が振り付けをしてくださいました。私が在籍していた13年のうちにモーニング娘。のダンスは大きく変化しているんですけど、たとえばワンフォーの時は基礎が足りない子どものメンバーが多かったので、その子たちがそろって踊るとカッコよく見えるように考え抜かれたのがフォーメーションダンスだったんですよ。当時はダンスが売りです! という感じで打ち出していたけど、ちゃんとした戦略があったんですよね。最近はそこからかなり進化していて、体重移動だったりアイソレーションがちゃんとできないとカッコよく踊れない振り付けが多くなりました。ダンスのニュアンスがかなり変化しましたし、単純にダンスだけで言ったら昔と今を比べると難易度はどんどん上がってきているんです。『勇敢なダンス』はそういう意味では、現在の最高峰みたいな曲です。私が卒業してもこの曲をメンバーには繋いでいって欲しいけど、私がいなくても成立すると思われるのはちょっと嫌だなという気持ちもあって(笑)。だからやっぱり石田さんだからと思ってもらえるように、ツアーではめちゃくちゃ気持ちを入れて踊っているので注目してもらえたらうれしいです(笑)!
――最後に卒業後はどんなふうにダンスと向き合っていきたいですか?
もちろんダンスは続けたいです。ダンスが踊れるならジャンルを問わずいろんなステージや舞台に挑戦したいですし、オファーをお待ちしております(笑)!プライベートではダンススタジオになかなか行く時間が取れずにチケットだけが溜まってしまっているので、それを消化するべくいろんなレッスンを受けたりしたいなと思っています。
モーニング娘。’24のInformation
11月27日(水)に通算17枚目の、石田亜佑美さんにとってはラストとなるアルバムが発売に!石田さんのダンスにフィーチャーしたリード曲『勇敢なダンス』をはじめ、13曲を収録。初回生産限定盤に付属するBlu-ray Discには、春ツアーの舞台裏に密着した『モーニング娘。’24 MOTTO DOCUMENTARY in BUDOKAN』(Huluオリジナル番組)も収録。
⚫︎いしだ あゆみ 1997年1月7日生まれ、宮城県仙台市出身。『モーニング娘。10期メンバー『元気印』オーディション』に合格し、2011年9月29日にモーニング娘。10期メンバーとして加入。2012年1月25日に48thシングル『ピョコピョコ ウルトラ』でCDデビュー。現在はサブリーダーを務める。メンバーカラーはロイヤルブルー。ニックネームはだーいし、あゆみん。トップレベルのダンススキルを持つことから“ダンスマシーン”という異名を持つ。
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撮影/山越翔太郎 ヘア&メイク/河嶋希(io) スタイリスト/佐藤朱香 取材・原文/武内亜紗