電車や新幹線に乗って知らない街を窓から眺めるとき、あのマンションの全部に人が住んでいて私の知らない人生があり、しかもその誰とも一生会わないのだろう、あのマンションにもこのマンションにも無数の人生が、と思うと、その果てしなさにクラクラしてしまうことがある。
この小説を読んでいるとあの感覚を思い出す。数ページで終わる短い物語はどれも、顔も名前もない人物が淡々と自分の人生を生きていて、一瞬で数十年の時を駆け抜けていく。なにか特別な事件や感動的なできごとが起きるわけではないのだが、なぜかそれがすごい。何だかすごいものを体験してしまった、という気持ちだけが胸に残る。人生とは、世界とは、もしかしたらこういうものなのかもしれない、と心のざわめきが止まらなくなる。
この特別な読書体験はどんな莫大な予算をかけたSF映画でも再現不能で、小説でしか味わえないものだ。読み終えたあとはきっと誰かに「すごい本を読んだよ」と言いたくなるだろう。